2007年9月6日木曜日

とことん

以下、ご存知の方はご存知、なんのことやらさっぱりわからん方にはわからん、という書きかたになってしまうかもしれませんが(珍しく、頭のなかでまとまらないままにつらつらと書いています)、よろしければお付き合いください。


むかし、仕事でこっぴどく怒られたことがありましてね。そりゃあもう、烈火の如く怒られました。

いろいろと難癖というか注文の多いお客さんがいて、もちろんお客さんは門外漢の方ですから、その注文はピントがずれてるんやけどなあ、と、思いつつも、でも、お客さんがそれを望んでいるのだから、と、お客さんのためを思って、オレは、そのお客さんのいわれるがままの広告をつくったことがあります。
それが正しい、と、そのときは思っていたし、誰がやっても扱いにくいお客さんで、トラブルも必ずといっていいほどあったんですが、そのとき、オレが担当したときは、トラブルは一切なく、おまえ、すごいなあ!よくあのお客さん相手に、揉めずにちゃんとつくれたよね!と、いろんな人にも言われ、どんなもんよ!と、これからはややこしい仕事は全部オレんところにもって来い!と言わんばかりの、鼻高々でした。

そのときですね、師匠にですけど、どえらい怒られましたわ。

師匠に呼ばれ、その仕事をまえに、これはなんや?と。
おまえ、この広告で効果が見込めると思うか?と、問われました。
効果があるかどうかはわからんけれども、でも、お客さんの言われるとおりにつくったし、だからこそトラブルもなかったし、出来るかぎりのことをしましたよ、と、オレは反論したんです。

客の言われるままに仕事するだけやったら、ただのご用聞きとおなじやから、広告の仕事なんてやめて、明日からご用聞きに鞍替えせえ!と、そらエラい剣幕で怒られました。

そっから、1ヶ月ばかし、仕事を干されましたです。

そのときの苦い経験があり、今のオレがあります。
お客さんは、効果が期待出来る広告を望んでいるのであって、門外漢ゆえに、自分が考えているものが出来れば効果があるものが出来ると思っているけれども、そうではない場合は、それをあの手この手で退けて、効果の期待出来るものをつくることこそが、本当にお客さんのためを思って仕事することや、と、そのときに、気づいたんですね。気づいたというよりも、気づかされました。

お客さんの言われるままにつくって効果がなかったとき、お客さんは、自分が言ったことをすっかり忘れていて、つくったオレのせいにします。
なんであのときちゃんと言ってくれへんかったんや!おまえ、プロやろ!と、言います。

おっしゃるとおり。
あのとき、オレが、真剣にお客さんのことを考えてつくらなかったばっかりに、ご用聞きですませてしまったばっかりに、お客さんは、せっかくの投資をドブに捨ててしまったことになります。
全然、お客さんのためになってない。。

そっからかなあ、プロの目で見たときにお客さんのリクエストがピント外れだとわかったとき、ときには正面からぶつかったり、はぐらかしてみたり、こんこんと話し合ってみたり、あの手この手を使って、これこそが一番効果が期待出来る広告や!と、そういうものを目指してつくるようになったのは。

お客さんの言われるがままのものをつくるだけだったら、なにがしかのスキルと人懐っこい笑顔や話術があれば、案外と簡単に出来てしまいます。

でも、そんなのは、全然お客さんのためにやってるとは言えない。
それではあかん、と、気づかされ、そっから先、そのことを外さないようにしました。
その考えから外れることは、今、必ずといっていいほど、ないですね。
いついかなるときでも、モノをつくっているとき、必ずそれを考えています。


ただね、モノをつくるということは、際限がないんです。底がないんです。
正解がないだけに、これで完成!という地点は、ないんですね。
本当にこれでいいか、もっといい方法があるんじゃないか、と、どこまでも考えることが出来てしまうのが、モノヅクリの面白味でもあり、厄介なところでもあります。

ある程度の経験を重ねてくると、完成はなくても、これで最低限のことはクリア出来てる、合格を出すことは出来る!というラインを、判断出来るようにはなります。

でもそれって、お客さんのことを考えてない。お客さんの望みに、応えきれてない。
お客さんが望んでいるのは、最大限の効果です。

合格ラインをクリアしただけでは、なにがしかの効果を見込めることは出来ても、最大限じゃない。
ダメです。お客さんの望みは、どんなお客さんであっても、最大限の効果、です。

でも、最大限って、どこやねん?
完成もない、最大限もわからん、そういうなかで、かつがつ、もがきながら、オレは仕事をしています。
幸か不幸か、オレの仕事には締切というものがありまして、この締切を超えてしまうと世に出ませんから、なんぼ頑張ってつくっても、締切を超えてしまった時点で、その仕事は0点です。

そのなかで、ジタバタもし、アップアップもしていくなかで、締切のそのときまでは、精も根も尽きるまでやる!と、自分で決めました。ある日、透明な気分のなかで、静かに、そう、自分で、ひとりで、決断しました。

あのね、エラそうなことを書いてますけど、ちゃんと出来てないことのほうが、はるかに多いんです。
いつもいつもいつも、いつも、いつも、いつもいつも、悔いが残ります。
でも、その悔いから、逃げないようにはなったつもりです。オーバーでもなんでもなくてね、悔しくて涙が出るんですよ。
あとからあとから、こんなことも出来たはずやん!なんであのときに気づかんかったんやろ!あのとき、なんで寝てしまったんやろう…!そんなことを思って、悔しくて悔しくて、涙が出るんですよ。
オレ、お客さんが投資してくれたおカネ、ドブに捨ててるやん…って。

今、ほとんどのお客さんは、おまえに頼みたい、おまえに期待してるし、おまえやったらきっとちゃんとやってくれると信じてるねん!と言って、オレに仕事を持ってきてくれます。そのかわり、なんでここまで!と叫びたくなるほどにややこしい仕事ばっかりですけど(笑)

オレのなにがしかを認めてもらってるんやなあと、こそばゆい気持ちにもなるんですが、だからこそ、絶対に期待を裏切ってはダメだし、悔いが残るような仕事はしたくない、と、どんなときでも思います。

お客さんが投資してくれたおカネを丸ごとごっそりもらってるのは、誰でもない、オレです。
だからこそ、そのオレのジャッジが誰よりも厳しくなくてはなりません。オレがオッケーを出したものを、他の誰かがNGを出すなんてことは、天地がひっくり返っても、あってはならんことです。

もっともっと、に、際限はないのだから、オレが一番厳しく、オレが誰よりも最後に、オレが誰よりもあがいて、ジャッジをして、あたりまえ。

なにをどうやっても、絶対に悔いは残るけれども、与えられた時間、環境のなかで、もうこれ以上は無理!もっともっとに際限はないから本当はもっと効果のあるものが出来るはずなんだけれども、オレはどんだけ頑張ってもここまでしか出来ませんでした!ここまでしかできなかったけれども、出来る精一杯のことはやりました、寝食も忘れて持てる時間のすべてを費やして、考えて考え抜いてやることだけはやりました!ゴメンナサイ!これであかんかったら煮るなり焼くなりしてください!という気持ちで、いつも、納品します。
なにからなにまで納得して納品したことなんて、恥ずかしいけれども、ただの一度もありません。

でもね、これ以上は無理やわ、全身の力を出し切ったわ、と、自分自身がそう思えて、少しでもそういう気持ちで納品出来たら、もちろん悔いは残るけれども、ちょっとね、サバサバした気持ちにもなるんですよ。
これであかんかったら、しょうがないやん。それも結果やん。と、少しね、思えるようになるんです。

ひとつだけ、自分で誇らしく思っていることがあります。
エンドユーザーにその魅力を伝えるのが非常に難しい商品の広告をつくったことがあり、精一杯やったけれども、結果は、惨憺たるものでした。
さすがにひどい結果で、いくらなんでも、こんなんでおカネもらうことは出来へんわ、と、思いながら、その会社に結果の報告に伺いました。
でもそのときに、
もともとがエンドユーザーにアピールするのには難しい商品だということも重々承知しているし、うちがお願いした金額のはるかに何倍もの力も情熱も注いでこの仕事をしてくれたと、評価させてもらってます。結果は出なかったけれども、その情熱に報いるだけの金額をお支払いさせていただきます、と言ってもらい、もっかいチャレンジしよう!ということにもなり、再チャレンジのための予算まで新たに組んでもらったことがありました。

結果が出なかったのだから激しい悔いも残ったけれども、そう言ってもらえたことで、少し自分が救われた気分にもなり、少しだけど、胸のなかに気持ちのいい風も吹きました。
失敗した仕事だったけれども、このときの仕事は、自分の宝箱にしまってある仕事です。
宝箱に入れてもいいかな、じゃなくて、宝箱に入れておきたいな、と思った仕事。

お客さんのことだけを考えて、必死になって、とことんをとことんまでやって初めて、お客さんの心が少しは動くかもしれないし動かないかもしれない、そういうギリギリのラインに、なんとか辿り着くんやろな、ということが、だんだんと実感としてわかってきました。


もうね、身体はボロボロです。
左肩のしびれと首の血行障害はどうにもこうにもならんし、吐くときがあるんですよね。
このまま健康を害していって死ぬんかな、とチラと思うときもあれば思わんときもあるんですが、仮にこれで死ぬことになっても全然悔いはない、と、腹の底から思っています。
死ぬのは怖いし、イヤだけど、死ぬかこの仕事か、の、選択が仮に訪れたとき、オレは、きっと仕事をとります。

健康なんか関係ない、こうやってとことんまでお客さんのことを考えて、考え抜いて、とことんまでやる、そのことでしか、歓びも、生きている充足も、得られないんですよ。そうしなければ、生きていて、面白くもなんともないんです。



このことは、じつは、オレの恋愛観にも通じています。
相方さんのことを思って、とことんやる、これ以上はオレの力では無理です!と自分で思えるところまで、やる。この1歩が限界、これ以上は無理と思ったときに、さらにもう1歩だけ踏み出してみる。

好きだの嫌いだの、わかってほしいだの、そういうことではなくて、自分が納得出来るところまでやるかやらないか、まだオレに出来ることがあるんと違うやろか?と、どこまでも考え抜くことが出来るかどうか。

オレは、相方さんにも、大切な人にも、そういう愛しかたしか、しません。
そうやって、とことんをとことんやって、その結果、離れていったとしても、もうそれは仕方がない。それは結果でしかないと、そういうふうに思えるところまで、オレは、とことんをとことんやることでしか、歓びも生きている充足も、得られない人間です。

こうやって書いてみるまでもなく、重々承知してますが、オレは、わがままですよ。
相方さんのことをとことん思い抜くことは、そのまま、まるごとが、オレの歓びです。オレは、オレの歓びのために、オレがオレ自身を納得させるために、オレがオレの生きている充足を得たいがために、相方さんに、とことんをとことんまでやってます。


なんやしらん、最後は、言葉遊びみたいになってしまいましたが…。


相方さんは、今回、初めて、必死、に、なりました。
初めて、とことんをとことんやってみることに、足を踏み入れました。踏み入れたな、と、初めてオレに伝わってきました。
ひと皮むけました。
それだけでね、彼女がとった今回の行動は、じゅうぶんすぎるほどお釣りが来ます。

相方さんに付き合ってくださった皆さん、本当にありがとうございます。





オレの日記は、そのほとんどが、誰か特定の人に向けて書かれています。その人はときどきに応じて変わりますが、変わらないのは、どの日記も、誰か特定の人に向けて書いている、ということです。

今回の日記は、自分に読み聞かせるために、書いています。
誰でもない、自分に向けて書いています。

そんな日記を、もしこの最後までご高覧いただけたのなら、ただただ黙って頭を垂れるのみです。
自分に向けた書いたものなのでコメントをいただけるとは思ってないけれども、もし仮に、コメントをいただけたとしても、返事は書かないつもりです。ご了承ください。

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