2007年9月20日木曜日

道徳の行方

教育中央審議会が「道徳」の教科化を見送る方針を打ち出しました。

戦前、「社会」と「道徳」がセットになった「修身」というものがありましたが、その「修身」が戦後にGHQによって廃止され、「社会」と「道徳」に分離され、以降、60年になります。今、「道徳」の授業は、教科未満の付け足し的な扱いになってますね。

さて、「美しい国、日本」とかいうロマンチックな言葉を掲げて登場した安部さんの肝煎りではじまったのが教育再生会議は、今後の教育の課題を、学力の向上と規範意識の育成とし、そのための具体策として、「道徳」の教科化を教育中央審議会に提言しました。

ところが、安部さんが突然政権をほっぽり出してですな、この流れも頓挫してしまいましたわ。
教育再生会議って、和民の社長なんかが参加しているやつですが、これ、民間の人たちが安部さんに請われて、この国の将来を憂えて、ボランティアで参加した会議だったのに、当の安部さんが辞任って、ねぇ。。。
大体、この国の将来をなんとかしたいと手弁当で集まった人たちが頑張っているのに、高い給料もらってる人が辞任って、なんなんですかね?


ただ、この会議でも散々揉めましたけれども、道徳を教えるということは、とっても難しいですよ。
道徳というのは、~してはいけない、という、タブーの体系だけれども、なにがタブーなのかということは、宗教によって違います。たいていの民族の文化は宗教がバックボーンになってますから、そういう場所では道徳というものが成り立つけれども、日本には国教とも呼ぶべき宗教が存在しないので、教えるべき道徳がない、ということになってしまいます。
ちなみに、「修身」のベースになっているのは武士道ですが、武士道は孔子さんの儒教がベースになっており、果たして今の日本に儒教がすんなり受け入れられるのかどうか、ここは検討する必要がありますね。

それぞれの民族が固有に持つ文化とは、言い換えると、なにを恥とするか、なのだとオレは思っています。
たとえば、乱暴な言いかたをすると…、
黒人は人まえで泣くことを肯定する文化に生きています。だから、感極まったとき、人まえで泣くことになんの恥じらいもないどころか、そのことは積極的に評価されます。
翻って、白人の文化や日本にむかしからある文化は、それを許さないですね。最近でこそそうではなくなってきてますが、ついひとむかしまえまで、人まえで泣くなんてことは、恥の極みでした。
スカートもね、ヨーロッパのたいていの文化では、男が履く文化があるけれども、日本の文化ではそれはタブーの領域です。

~してはいけない、の、タブーの体系には2種類あって、ひとつは法律です。
民主主義国家の日本では、毎度毎度の国会で民主的に法律をつくり、法律面からのタブーの体系は、世界のどこに出しても恥ずかしくないものになっています。

でも、もうひとつのタブーの体系、法律には出来ない、あるいは法律以前の、文化的な側面からのタブーの体系、いわゆる道徳ですが、これがね…。

法律によるタブーは、これは理屈です。
法律によって規制しないことには社会に不都合が起こるので、法律をつくって規定する。簡単に論理的な説明がつきます。これは、文化ではなくて、文明です。
赤信号をわたってはいけないのは、そうしなければ交通事故が多発して交通維持のコストが高くついて仕方がないから、というふうに、論理的なコトの運びで成り立っています。

翻って、道徳はですな、論理的な説明が出来ないんですね。
たとえば、どんな文化のどんな道徳にも、人を殺してはいけない、とあるけれども(どんな法律にも明記されていますが)、こんなもん、論理的には誰も説明出来ません。

なぜ人を殺してはいけないのか? いけないからいけないんです。
それだけです。
論理的じゃないのだから、理屈で説明することは、無理です。論理的に考えると、まったく納得出来ません。そんなことは、あたりまえ。
論理的に納得など出来なくても、すとんと自然に心に収まってしまうのは、その文化に、その人が生きているからです。
納得など出来なくても、それを教えて無理矢理にでも守らせるのが文化であり、道徳ですから。感覚的なところで納得させるしかない。
だから、これは強制です。
でも、そもそもが教育の本質は、強制させることですから。

理屈の説明、つまり、法だけでやってしまうと、「人に迷惑をかけてはいけない」だけが残るんじゃないですかね。
今、日本で、誰しもが納得するモラルって、それしかないんじゃなかろうか?
電車のなかで化粧をしてもいい、年寄りを押しのけて電車のイスに座ってもいい、転んでケガしてる人は自分に関係ないからほっておけ…。人に迷惑をかけてるわけじゃないから、それでいいじゃないの。おまえに迷惑をかけたか!
こんなことは、法律で規定出来ることではないし、法律以前の問題です。
そこを補うのが文化なのですが、その文化も、文化をバックボーンにした道徳も、なにもない。。。

以前、あるマイミクさんの日記にコメントで書いたのだけれども、
民主主義だけでは国は成り立たないということを、この国は壮大な実験を経て証明しているかのような気分になります。

というふうに書くと、第3者的な物言いで、すごくイヤになります。
責任の一端は、この国に生きる大人である、オレにもあるのだから。

この半年以上、教育の現場に携わっているけれども、そういうことをずーっと考えています。
この国の文化って、どこにあるんかなあ、と。




まだまだ暑くて腹立つので、爽やかにスカを☆


本日の1枚:
『Guns of Navarone』
The Skatalites

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