2007年12月14日金曜日

神戸ルミナリエ2007

もう1週間前になるのだけれども、ルミナリエに行ってきました。
最初の年から欠かさず行っていて、もう何年目になるんだろうか。。

毎年だけど、長田のオジィやオバァを引き連れての、大名行列(笑)
人ごみに紛れてどこ行くかわからんので、縄で繋いでおきたいくらいです(笑)

毎年、ルミナリエに行って、毎年書いてるけれども、年に1回の墓参りみたいなもんです。

震災と震災以降に亡くなってしまった長田のオジィやオバァたちと語らいながら、その一方で、今もまだ生きる気力を漲らせているオジィやオバァと、ボケとツッコミの漫才のような丁々発止のやりとりで、ワーワーキャーキャー言ってます。

震災のことをね、もうめっきり思い出すことはなくなったけれども、このときはね、思い出すようにしてます。そのために行ってるようなもんですな。

だから、墓参り。
墓参りというのは、死者のためにあるのではなく、生き残った人間が、これからも生き残っていくために、死者と語らうためにあるのだと思うのですが、オレにとってのルミナリエというのは、そういう場になってしまってます。

鎮魂、といっても、湿っぽくならないところがね、長田のオジィやオバァのいいところですわ。
この人たちは、ほんとに湿っぽくならなくてね、ある種、日本人離れしてますね。

コリアンのオバァは相変わらずウチナンチューの悪口言ってるし、沖縄は本土と島とで差別があるみたいで、その出身地によってデカい顔したり小さい顔したりしてますわ(笑)
くだらないからやめろ!と言っても、生まれたときから染みついてることだから、聞く耳を持ちません。。
でもね、体験から焙り出された実感をまえにして、言葉なんて、どんだけ重ねても無力ですからね。オレは、それでいいのだと思っています。もう、しょーがない(笑)
そんなことよりも、そういう、剥き出しの感情を露にしながら、生き延びてきた人たちを目の当たりにするとね、もっともっと生きることを一生懸命にやらないとダメだなあと、思うのです。
オレの周りは、どうもね、年が若いほど元気がない傾向にあります。これ、世間的な傾向ですかね。

オレらはね、いろんなことを学びます。頭で学ぶことが、多いですね。頭で理解しようとする。
でも、そうやって身につけた知識は、薄っぺらいですね。
遠くの国の政治問題ほどキレイに苦悩出来る、
と、開高健は、インテリの痛点を刺すような至言を書き残してるけれど、ほんと、その通りです。
長田という、水はけの悪い安い土地に住みつくしかなった人が、安い革しか売ってもらえなくて安い靴しかつくれなかった人が、これでもかこれでもかと頭を押さえつけられて、なにかが間違ってるはずや!と感じて、そっから出てきたモノの考えかたというのは、やっぱり、迫力があります。
新聞や本や映画や音楽や演劇や絵や雑誌や写真から得た知識なんかでは絶対に太刀打ち出来ない、凄みがあります。
こういう言葉に接しているとね、数多の政治家がどんだけキレイゴトを並べても、寝言みたいにしか聞こえんですよ。

そういう話をいっぱい聞かせてもらえるのが楽しみで、何回も何回も長田に遊びにいってます。

もちろんね、そんなカタい話ばっかりじゃない。
椎茸の軸は繊維にそって手で裂いて、人参なんかと一緒にきんぴらにすると美味しく食べられる、とか。
大根の葉を刻んで、胡麻、とうがらしで炒めると美味い、とか。
火傷をしたときは、すぐに水で冷やて、その後、蕗の葉を貼っておくと火ぶくれにならず、治りもはやくなる、とか。
どこまで真なんかわからんそういうことをね、あるある大辞典に出てきそうなことをね、もう、惜しみなく教えてくれます。

そういう人たちとね、毎年、ルミナリエに行くんです。
ワーワーキャーキャー言いながらね。
もうね、震災から10年経ってるし、むかしとちがって、しょっちゅう会うわけじゃないです。恋愛の初期みたいにして盛り上がる時期はとうに過ぎてて、ワンクールに1回会う、みたいなかんじ。忙しさにかまけて。
だから、ルミナリエみたいなイベントがあると、すごく助かる。

オジィやオバァは、いくつか修羅場をくぐり抜けてきて、それこそ残りの人生はグリコのオマケみたいなもんだとうそぶいたりもします。そうなんだと思うんですが、オマケにしては態度がでかすぎるんですよね(笑)

いつからか、生かされているのだという感覚が、自身の裡に芽生えてきています。
天に召されたオジィやオバァと語らうたび、生かされているのだと実感します。
愛らしくもうるさいオジィやオバァと触れ合うたび、この人たちはなんだかんだ言って、オレを生かしてくれているなあ、と思うのです。
力があるからこそ、触れる人に自然と力を分け与えることも出来るのでしょう。

若いころは、生きることを、頭でばっかり考えてました。
でも、このオジィやオバァを見てるとね、生きるということは、つくづく、身体全体でなされる大事業なんだなあ、と、思い知らされます。


オジィやオバァと騒いでばっかりだったので、写真なんてほとんど撮ってないんですが(つか、オジィとオバァの写ってる写真ばっかり撮らされてました…。笑)、少しだけ。






なんか、去年とおんなじようなことを書いているので、去年とおなじ曲でも聴くことにします。
こういう夜は、ソウル・ミュージックにかぎりますね。
そして、これもまた、誰がなんといおうと、そういう意味でのソウル・ミュージックです。

本日の1枚:
『今夜はブギー・バック』
小沢健二 feat. スチャダラパー

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