2006年4月26日水曜日

カネ貸しを巡る、2、3の考察





アイフルのCM、見事にテレビから消えちゃってるらしいですね。
いや、テレビ自体をほとんど観ないので、また聞きなんですけど。

でも、テレビって、これまでにさんざんアイフルの広告で稼いでたのに、手のひらを返したように、個人に高利でカネを貸すという仕事にはなんの社会的意義もない、なんてコメントを、良識派文化人と称する人たちにニュースで喋らせてますな。手のひら返しはメディアの常套手段なので、今さらいちいち驚いたりはしませんが。
でも、なんかね、金貸しに対する職業差別を感じます。
だって、なんの社会的意義もない、なんて、テレビで他の職業に向かって言ったら、許されないと思いますよ。
それじゃあ、銀行はどうなるんだ?
まあ、銀行はいろんなかたちでオブラートに包まれてるけれども、他の貸金業は露骨だから、こういう問題が起こったときには古い感覚が出ちゃうんでしょうね。

金貸しに対する差別って、むかしからありますね。
イスラム教は金貸して利子をとることを禁じているし、じつは利子をとることはキリスト教でもむかしは禁止されてました。キリスト教徒が出来ないから、金融はユダヤ教徒の専売特許になったわけで。

日本では、武士道がありましたね。
侍階級の人間は、おカネに触れずに生活していたのだから、武士たちは、おカネに触れる人たちを卑しい人間として、蔑視していた。その感覚が、現代まで連綿と続いているわけです。
けど、戦国時代の武将たちは、カネの力で乱世を凌いでいったわけで、それはどうなるんでしょうかね?
織田信長なんて、旗印は永楽銭じゃないですか。
そういう現代だって、とっくに、カネが幅を利かせている時代なわけで。
オレだって、カネカネカネと、血眼になってますよ。

一方で、おカネは汚いもの、という感覚は、人間に根源的にありますな。
フロイトは、おカネは排泄物だと言ってます。
ま、おカネを使う快感というのは、浪費癖のある人を持ち出すまでもなく、誰にだってありますからね。

むかしは、金貸し、という、ある種の差別的表現がちゃんと使われてました。
差別的表現を隠さないことで、じつはフェアに人と人とが向き合っていました。
でも、今みたいに、言葉を置き換えて、サラリーマン金融と呼ぶことによって、職業差別はしてませんよ、って見せながら、今回みたいなことがあると一気に差別意識が出ちゃう。
そこが好きじゃないんです。
それだったら、普段から「高利貸し」と呼べよ、と。
業界人(ヤミ金の連中ですが。笑。)と話をすると、サラ金も侮蔑的表現らしいです。
むかし、サラ金地獄が社会問題化して、苦労して業務改善して、そのイメージを払拭してきたのに、と恨み節を言います。
でも、消費者金融って言葉は、わかりそうで意味がよくわかんない言葉ですね。

話があっちにいったりこっちにいったりして、とっ散らかった日記になってますが…。

今回のアイフルの業務停止命令は、
景気回復のためにはネコにもシャクシにもカネを貸せ!派の竹中経済財政政策担当大臣と、サラ金業者のテレビCMばっかりで不愉快だ派の与謝野金融担当大臣のケンカに巻き込まれたんだと思いますよ。

なぜか。
業務停止はGW明けの5月8日からですからね。
稼ぎどきのGWは営業させてやるから、稼いでから自粛しなはれ、と、落としどころが絶妙すぎます。

ホリエモンのときも思ったけれども、国策捜査の匂いを感じるものが、最近は多すぎます。


RCのキヨシローはむかし、
『この世は金さ』『金もうけのために生れたんじゃないぜ』『言論の自由』という曲を、1枚のアルバムのなかに並べて収めてました。鋭いですね。



RCサクセション / 『いいことばかりはありゃしない』

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