
最近、神戸の事務所では面接を繰り返しています。
マスコミにカテゴライズされてしまうので、募集をかけりゃ、応募はものすごくたくさんあるんですけどね。
ただ、弱小なんで、新卒さんに来てもらって、名刺の出しかたから教えるって余裕はないんですよね。なので、ある程度、実務経験のある即戦力の人を。
でも、こちらの希望も虚しく、専門学校出たての人が多いんですよね。
つまり、実務経験がない。あっても、半年とか1年とか。まあ、半年でも1年でも、実務経験がないよりはマシなんですけどね。
募集は常時やっていて、どうしても人員がほしい!ってときじゃなくても、募集広告を出すことはあります。いい人と出会えたら来てもらいたいし、なんせマスコミなんで、最小の広告でも応募はたくさんありますから。
来てもらいたいのは、雑誌の編集、ライター、印刷物のデザイン、Webのデザインなんかが出来る人です。
でも、専門学校を出ただけで、それらが出来ると思っている人が多いんです。学校出ただけで、実務経験がなくて、でも、自分は即戦力でバリバリやれます!って顔で応募してこられる方が多いんです。
なんかね、学校で専門的なものを学んだ、ということが、その人の拠り所になっちゃってるんですよ。
そもそも、技術を習得するために学校に行く、という考えかたの人は、ウチでは採用しないことにしてます。
あくまで独善的に考えているので、異論は多々あるでしょうが、オレはそう考えています。
だってね、
学校に行くということは、教えるほうからすれば、お客さんですよ。カネ払ってるわけだから。だから、どうしたって、お客さん扱いになりますよ。
でも、
丁稚だとね、教えるほうは必死ですよ。なんせ仕事覚えてくれないと、単なる足手まといですから。だから、どつくし蹴るし、罵倒するなんてあたりまえ。やる気がないなら置いてくし。でも、そうやって生き残った人は、それなりにタフだし、現場に身を置くことで、技術以外の、常識やその業界特有の慣習なんかも身につきます。もっと大切な、マニュアル化出来ないようなことだって、そこにいれば身につきます。
なので、技術を習得するために学校へ行く、という発想の人は、その時点でペケ、ってのがオレの考えかたです。やっぱ、丁稚でないと。で、進路を決める際に、それくらいのことがわかってないようでは、やっぱり、ちょっとイヤなんですよね。
小説を書きたい人が、大学の文学部に行っても仕方がないわけです。
それだったら、医学部や調理学校にでも行って、医者や調理師になって、その目線で小説を書いたほうが、はるかに豊かな小説が書けますよ。
技術は、極端なことをいえば、独学でも出来るんです。
技術は原則としてマニュアル化されているものですから、マニュアルを学べば、どうにかなります。
でも、マニュアルには出来ないもの、つまり文化や風土や感性やセンスや本質を射抜く眼といったものですが、それらを身につけないと、仕事なんて出来やしません。
技術を身につけてから、それからが勝負なんです。
服部学園の服部幸應校長は、調理師の免許すら持ってないじゃないですか。
サッカーの名監督、ヴェルディの総監督を務めた李国秀さんは、監督のライセンスすら持ってないじゃないですか。そーいえば、現日本代表監督のジーコも、監督のライセンスを持ってない(笑)
それだけでも、なにが大切なのかがよくわかるってもんです。
ブラジル生まれのニューヨーカーに、アート・リンゼイというミュージシャンがいます。ブラジル音楽とNYパンクを融合させて、それはそれは素晴らしい音楽を次々と発表しているミュージシャンですが、彼は、ギタリストのくせに、コードをひとつも知りません(笑) コーネリアスが参加した最新作は、神々しい光すら放っています。
Arto Lindsay / 『Kukikeller』
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