2006年6月14日水曜日

戦争か? サッカーか?





ワールドカップだアジア最終予選だと、勝敗如何で感情がジェットコースターのように一喜一憂するこの時期に、いつも夢想することがあります。

サッカーって、世界中で一番人気があるスポーツだし、国際試合ともなると、それこそ国家間の代理戦争とまで揶揄されますよね。
実際、サッカーのゲームがもとで現実に戦争をはじめてしまったケースがいくつもあるし。
サッカーで国民が団結するのを怖れ、サッカー禁止令なる法律を施行してしまった国もあります。

なんにせよ、サッカーという競技には、それだけの魅力があるということです。

手を使ってはいけない、という、もっとも大きな縛りをつくったことで、それ以外にほとんどルールをつくらなくてすんだ、という、競技の自由度の高さが魅力のひとつ。
もうひとつは、得点が滅多に入らないので(近年の流れは、ルール改善によって、より多くの得点が量産されるゲームにしようという方向になってますが)、思い通りにならないことがとても多い点。
この2点が、人々をサッカーに惹きつけてやまない点だと思っています。

そのサッカーをね、国家間の代理戦争だとまでいわれるのなら、現実にですな、国家間、地域間、民族間の武力衝突をですな、いっそのこと、サッカーに託してしまってはどうなんですかね?

2国間、あるいは複数の国のあいだで対立があり、軍事力に訴えなければならないような事態に発展したとき、その軍事力に、サッカーを導入することは、出来んのですかね?

ときどきね、そんなことを考えます。

戦争にだって、国際人道法、ベルサイユ条約、ハーグ陸戦条約というルールがあるじゃないですか。
宣戦布告をしなければならない。
捕虜は人道的に扱わなくてはならない。
白旗を掲げた相手に攻撃を加えてはならない。

詳しいことは調べていないんですが、南米のペルーがインカ帝国だった時代には、戦争には、現在の競技としての格闘技のような、明確なルールが規定されていたそうです。殺し合いではなく、ルールのある競技の結果に、双方がしたがう。

日本でだって、中世の戦争では、双方から腕に覚えのある武者がひとりずつ出てきて、名乗りあい、一対一の切り合いをして、その結果を全軍に適用させてました。もっとも、この場合は、殺すまでやりましたが。

ワールドカップにおけるサッカーとは、サッカーを軸とした国家間の総力戦でもあります。
まず、その国民が持っている国民性のようなものが、その国のサッカー観に反映します。
ショートパスを多用して相手を攪乱しながら攻め上がっていくスタイルを持つ国は、そういう戦術を国民が好きだから、としか言いようがありません。
守備を堅牢にして、1-0で勝つことを最上の美学とする文化が国民性のなかにあるからこそ、イタリアは、長年、そういうサッカーをやっています。

また、戦術は文法のようなもので、学ぶことが出来ます。
でも、発音にあたるボールタッチは、言語における発音がそうであるように、学んでいる意識などなくても、自然と身につくものです。
飛んでくるボールの落下点で待って、胸や足のトラップでボールの勢いを吸収して
、一発で止めてしまうやりかた。
落下点で立ち止まることなく、動きながら、身体のいろんなところにボールを当てて、徐々にボールの勢いを吸収しながらボールをコントロールするやりかた。
こうしたことは、教えて身につくというよりも、小さなころからみんなでボールを扱ううちに、自然と身につくものです。逆に言えば、自国語の発音にないボールタッチは、身につけるのにかなりの訓練を要する、ということです。

兵隊(代表選手)のスキルは、一朝一夕では、上達しません。若年層からの教育プログラムを充実させ、ソフトとハードの両面でサポートしながらになります。
日本代表だと、福島にJビレッジという素晴らしい施設があります。芝生のサッカーコートが何面もあり、宿泊施設もあり、ハード面ではバッチリです。それ以外にも、この10年で、全国に、年中青い芝生のコートがいたるところにあり、いつでもサッカーを楽しめる環境が整いつつあります。
ソフト面では、全国に共通の教育プログラムを導入し、日本の優位性を生かしたサッカーを、どの地域にいてもおなじプログラムで教わることが出来るようになっています。近年はじまったエリート教育では、チームを引っぱっていける、社会人としてもアスリートとしてもしっかりとした個の確立が出来る真のエリートを養成することがはじまっています。全寮制で、現在では近くの学校に通わせていますが、近い将来、これは、正式な教育機関の認定を受けて、すべての学校教育を含めた教育をそこで行なえるようにするとしています。

兵站業務(食糧、物資)の面では、チームには、プロ栄養士から専属コック、ホペイロ(用具係)まで、今の日本ではきめ細かなサポートが行なわれています。
兵站業務こそ、ワールドカップが国の総力戦といわれるわかりやすい例ですが、ピッチ上に置いている給水のための飲料の成分、温度、量などまでに気を配ることが出来る国、出来ない国をわけるのは、まさに、サッカーにおける国の総力の違いです。

心理学の専門家、カウンセラーがチームに帯同しているところもあります。そもそも、プロの監督ライセンスを取得(代表監督はプロのライセンスを持っていなくてもいい)するには、栄養学から心理学、経営学を学ぶことが、義務づけられています。

時差ぼけを解消するのには1日で1時間が限度、寒いところから暑いところに行ってトップコンディションを維持させるために汗腺を開かせるのには最低でも10日はかかる、といった科学的なデータに基づいたコンディショニング対策を立てることは、その国とその国のサッカー関係者が集めた科学技術の粋がベースになります。

サッカーという競技にかぎったことではないけれども、勝つためにありとあらゆることをやるということは、中長期的な戦略も短期的な戦略も、ゲームにおける戦術も、兵隊業務も、周辺の関連分野の人材も取り込んで、国の文化も、宗教も民族も、政治も取り込んでやっていくということにほかなりません。

サッカーは世界でも一番たくさんの人が熱中する競技だから、「勝つためにありとあらゆることをする」という点については、必然的に、他の競技を圧倒しています。

言葉を換えれば、どの競技にもまして命がけ、かぎりなく(ルールのある)戦争に近いのが、サッカーです。
スポーツが戦争の代理行為という側面を持つならば、世界で一番愛されているサッカーは、あらゆる競技のなかで、必然的に、戦争にかぎりなく一番近い競技でもあります。

ならね、それをね、戦争という現実の殺しあいにとって代えることは出来ないのかな? と、夢想するんですよ。

審判は国連から派遣。核は使ってはいけないというのは、手を使ってはいけないというサッカーの大原則に置き換える。戦争条項に違反する行為があればカードを切り、退場もある。。

アホなことかもしれないけれども、4年に1回のこの時期、そんなことをよく考えるんです。




ワールドカップ日記:
アメリカvsチェコ=0-3
アメリカ、ここ数年順調に強化が進んでいただけに、チェコ相手にどこまでやれるか期待していたんですが、まるでダメでしたね。そもそも、ホープだとかドノバンだとか、懐かしい顔ぶれが未だに中心選手で頑張っているあたり、世代交替が上手くいってないんですかね? チェコは、決勝まで進めるだけの力はあると思うし、楽しいサッカーをするから出来るだけ長く見たいけれども、コラーの負傷がどう影響するかが心配です。

イタリアvsガーナ=1-0
現在のところ、このゲームだけ観てません。録画はしてあるけど、まだ観てません。。。

韓国vsトーゴ=2-1
韓国は、ホスト国だった前回大会(ホスト国はなぜかグループリーグを突破しやすい組み合わせになるのが通例)を除いて、ワールドカップに5回も出場していながら1度として勝利を挙げたことがない国。その意味で、日本の先輩ですね。その韓国が、ついに1勝をもぎ取りました。快挙です。アジアのためにも喜ばしいことです。でも、それを素直に喜べない自分がいる(笑) はっきり言って、腹が立つ(笑) 日本の敗戦と韓国の勝利になんの因果関係もないのに、なぜか腹が立つ(笑) はい、まだまだ精神修行が足りません。。

フランスvsスイス=0-0
ヨーロッパ最終予選でホーム&アウェイの2試合をやって、ワールドカップ本戦でもまたまた当たってしまった両国。WBCのときの日韓みたいなもんです。もう、お互いの手の内を知り尽くしてますから、お互いの長所を消しあう、つまらないゲームになるのは目に見えています。そして、実際、そういうゲームになりました。ある意味、順当なスコアレス・ドローですね。ここが順当に引き分けたことで、韓国は厳しくなりました。まあ、見どころはジダン最後の勇姿だけど、う〜ん、往時の輝きがないからな。。アンリ、代表でいつになったら爆発するの? あとは、あのスタジアム、ゴールキーパーにマトモに陽の光が当たって、眩しそうにしてましたな。スタジアムには欠陥があるみたい。

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