2006年6月20日火曜日

ちょっといい話を





最近は、サッカー日本代表コミュにちょくちょく顔を出してるんですが、おそらくは観戦歴5年前後くらいと思われる若い人たちが、なにをメディアに刷り込まれたのか知らないけれども、日本代表のダメなところばっかりあげつらってます。それが愛情だと言わんばかりに。完璧なチームなんてこの地球上のどこにも存在しないんだから、どの国のどんなチームにだってダメなところはあるんですけどね。だからこそ、サッカーは面白いんですけどね。

まあ、ワイワイと熱く語るのもワールドカップの楽しみのひとつではあるので、それはそれでいいんですが、あんなに自国チームのダメ出しばっかりしてて面白いのかしら。

それもちょっと辟易してきたので、
ワールドカップにまつわるいい話を書いてみます。

前回の日韓大会のとき、関西だと和歌山や淡路島がキャンプ地として参加国の誘致を行ない、淡路島ではイングランド、和歌山ではデンマークが開催期間中にキャンプを張ったんですね。
こういうのを見にいくのもワールドカップの楽しみで、というか自国開催ならではの楽しみなので、オレ、行きましたよ。合計で10日くらいは行った(笑) イングランドの淡路島はベッカム人気でどえらいことになりそうだから、和歌山へ。和歌山、知り合いも何人かいて、いざとなったら泊めてもらえるしね。

んで、和歌山のデンマークを見にいって、大正解☆

80年代以降、デンマーク代表は躍進しました。攻撃が大好きな国で、ワスワークありパワープレーありで、ダイナミックなサッカーを展開してました。ダニッシュ・ダイナマイトなんて呼ばれてました。

ただ、普通の人は、デンマークのサッカーなんて知らないじゃないですか。ラウドルップ兄弟やトマソンも有名っちゃ有名だけど、世間的にはそれほど有名じゃないし、Jリーグにも来たラウドルップ兄はまったく活躍出来ませんでしたから。だから、日本におけるデンマークのイメージって、なにも知らないかネガティブな印象しかない。いや、本当は、ヨーロッパでももっとも古いサッカーの歴史を誇る伝統国なんですけどね。でも、メチャクチャ強いわけじゃないから、まあ、普通の人は、ピンと来ない。

そういうチームがですね、和歌山にやって来たんですよ。
当時、商工会議所で偉いさんを務めていたオレの知り合いの社長さんも誘致活動を手伝っていたんですが、キャンプ地の誘致なんてもともとが村おこしの一環でやってるわけで、そんな無名のチームを呼んで大丈夫かいな?と。

これがね、最後にはデンマークに来てもらってよかった、ってなるんですよ。

デンマークは、練習を一度も非公開にしませんでした。
普通、この手のキャンプでは、一部あるいは全部を非公開にするチームがほとんどなんですが、デンマークは、すべて公開。
それだけじゃなくて、練習後には、見学に来てた地元のサッカー少年たちを招き入れて一緒にミニサッカーをやったりね。
とにかく、めちゃめちゃフレンドリーだったのが、デンマーク代表。
これが、地元和歌山の人たちのあいだで噂になって、キャンプ2日目から、押すな押すなの大盛況になったんです。連日、3000人前後の人たちが、キャンプ地を訪れていました。

練習を非公開にしたところで、自分たちの強さが変わるわけではないし、なによりもキャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが喜んでくれることはどんどんするべきだ。試合も大切だが、この交流も大切にしたい。

デンマーク代表のオルセン監督は言いました。
いい人ですね。大人ですね。わかってますね。

宿泊先のホテルの支配人と料理長は、食事の件で非常に気を揉んでいました。
ホストする立場としては、デンマーク代表に万全の状態で試合に臨んでもらいたいし、そのためにも、提供する食事は大切です。デンマークから食材を取り寄せることも考えたそうです。実際、そういうことを要求する国はあるし、日本代表だって、どこ行くにしても日本から食材を持っていって、栄養士も帯同させますからね。

そしたら、デンマークのオルセン監督、
料理は一切お任せします。そちらが用意される料理を、我々は喜んでごちそうになります、と。
あなたたちが精一杯ホストしてくれるのだから、我々がそれを感謝して受け入れなければならないのは当然のことです、と。
さらに、
和歌山の有名な食材がカツオであることを知ると、
ぜひ、美味しいカツオを我々に食べさせてください、と。
ここまで言われて、頑張らない料理人はいないでしょう。

それから、「いただきます」や「ごちそうさまでした」なんていう、日本で食事する際の風習も学んでね。

人生は長いわけで、なにもサッカーだけが人生というわけではありません。
それに、優れたサッカー選手になるためには、社会人としても優れていなくてはなりません。勝つだけでは、プロ・アスリートとしては成長しないんですね。勝つ以上のことを学んでいかないと、アスリートとしても人間としても、成長なんてありえない。
デンマーク代表は、そうしたことがわかっているからこそ、和歌山に来たからには和歌山のことを知ろうとするんです。知ると同時に、自分たちのことを和歌山の人たちに知ってもらおうとするんです。

どの国のサッカー協会でも、サッカーを通じて優れた人材を輩出し、社会に貢献する、ということを、規約の最初に掲げています。でも、本当にそれが出来ているのかな、そうする気があるのかな、と思うことがしばしばなのは、デンマーク代表のように振る舞う国が、ごく少数だからなんですね。
今回の日本代表だって、ドイツの在日大使館が歓迎レセプションを開いても、協会関係者だけが参加して、現場の人間、選手やコーチは参加しないし…。

ここからの話は、和歌山で語り草になっていた話で、オレも何度か聞いた話です。もしかしたら、メディアでも流れたかもしれません。

和歌山でキャンプを入っていたデンマーク代表は、練習後に、いつものごとく、サイン会を行なっていました。
主力選手であるトマソン選手(オランダのフェイエノルトで小野伸二選手とチームメイトでした)のまえに、ひと組の母子が立ちました。少年はモジモジしていて、母親が、息子である少年を促します。
意を決した少年は、ポケットから1枚の紙切れを取り出し、トマソン選手にわたしました。
それは、学校で英語の先生に書いてもらったものなのですが、

僕は小さいころに病気にかかって、耳と口が不自由です。耳は聞こえないし、話すことも出来ません。でも、サッカーが大好きで、ずっと見てきました。デンマークのサンド選手とトマソン選手が大好きです。頑張ってください。

そう書かれていたんですね。

そのとき、トマソン選手は、彼に、手話は出来ますか?と尋ねました。
そう通訳に言うと同時に、彼は手話で少年と話しはじめました。
結局、手話というものは言語とおなじで、国によって違うから、手話で少年とトマソンが会話を交わすということはありませんでいた。
手話での会話を諦めたトマソン選手は、少年と、紙を使って会話をすることになりました。通訳も介して。

君はサッカーが大好きですか?
はい、大好きです。
デンマークを応援してくださいね。
もちろんです。それから、あの、ひとつ聞いていいですか?
いいですよ、なんでも聞いてください。
トマソン選手はなぜ手話が出来るのですか?

トマソン選手には、病気で耳が聞こえなくなったおねえさんがいました。そのおねえさんのために、手話を覚えたんだ、と、トマソン選手は言いました。そして、トマソン選手が少年に言ったこと。

君の試練は君にとっても辛いことだと思いますが、君とおなじように君の家族も、その試練を共有しています。君は、ひとりぼっちじゃないということを理解していますか?

少年は、黙って頷いたそうです。

わかっているなら大丈夫。誰にだって辛いことはあります。君にも僕にも。そして君のお母さんにも辛いことはあるんです。それを乗り越える勇気を持ってください。
僕は、この大会で必ず1点取ります。その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるように、僕は祈っておきます。

少年の母親は、泣いていたそうです。

この後、トマソン選手は少年との約束を守り、1点どころか合計4得点をあげるという大活躍でした。
デンマーク代表は前回優勝国のフランスを破ってグループリーグを突破。最後は、決勝トーナメント1回戦でイングランドと激突して、敗れました。

トマソン選手も世界のスーパースターのひとりです。億単位の年俸を稼いでいるでしょう。プロ・スポーツ選手の役割ってなんだ?ということを考えるとき、オレは、トマソン選手のことを思い出します。
プロ・スポーツ選手が、プレーを通じて、見る人々を魅了し、勇気を与えるのが仕事だとしたら、トマソン選手は真の意味でのプロ・スポーツ選手ですね。
勝つだけでは、ダメなんですね。プレーを通じて、見る人々を魅了し、勇気を与えることが出来なければ、プロ・スポーツ選手ではないし、億単位の年俸を受け取ってはいけないんです。

デンマーク代表チームが和歌山を去る前日、お疲れさま会なるものが、宿泊先のホテルで行なわれました。2000人からの人が集まったとか。
件の少年と母親もその会場に駆けつけ、トマソン選手と再会を果たしました。

せっかく応援してくれたのに、負けてゴメンね。
お疲れさまでした。負けたけど、かっこよかったです。それに、約束通りに点をとってくれてすごく嬉しかったです。
トマソン選手が少年に言い、少年は、答えました。

ありがとう、と、トマソン選手は言い、最後の言葉を少年に贈りました。

僕から君に伝えることが出来る言葉は、これが最後です。よく聞いてください。
君は、まえにも言った通り、試練が与えられています。それは神さまが決めたことであり、今から変えられるものではありません。
神さまは君に試練を与えたけれども、君にも必ずゴールを決めるチャンスを、神さまはくれるはずです。君はそのチャンスを逃さず、ちゃんとゴールを決めてください。

少年は、満面の笑みで、ハイ、と。

和歌山では、今でも、デンマークの代表のファンが多いですね。
今回のワールドカップには出てこなかったけれども、またいつか出場することがあれば、きっと、応援するんでしょうね。
件の母子は、一生、デンマークを応援し続けるんじゃないかな。

翻って、日本代表に選ばれているメンバーに、トマソン選手のような対応が出来る選手が何人いるか、と考えてしまいました。勝つことに汲々として、勝つこと以上のことが出来る選手が、何人いるんだろうか。

具体的なこうしたストーリーはともかくとして、日本でワールドカップが行なわれたことで、目立ったところでは、大分の中津江村(李奈さん、今度はちゃんと大分!)がカメルーンと交流を結び、新潟の十日市町ではクロアチアとの交流が生まれました。
自国開催したからこそ、ですね。
ワールドカップで優勝する、いい成績を残すことも果てしなく大切なことには違いないんですが、こうした結びつきをたくさん持てていることは、日本がサッカーの先進国の仲間入りをしているひとつの証拠だと思います。
日韓大会での日本のホストぶりは、今でも世界中のサッカー関係者に好印象を残しています。
日本はまだまだサッカーの後進国から抜け出せていないと嘆く向きが多いんですが、そんなことない。ワールドカップを開催していない国は世界中にたくさんあって、そうした国ではこうした交流はないわけで、もっといえば、ワールドカップを開催した国であっても、サッカーを国家間の代理先頭ととらえる国では、こうした交流も生まれません。

どんな国のサッカー協会であっても、一番最初の規約には、サッカーを通じて優れた人材を輩出し、社会に貢献する、とあります。
試合に勝つだけではなく、勝つこと以上のことを、どこも目標に掲げています。

日本代表の成績が芳しくないこともあって、殺伐とした空気が流れていたので、こんな話を書いてみました。ちょっといい話でしょ。





ワールドカップ日記:
ブラジルvsオーストラリア=2-0
オーストラリアのヒディング監督は、やっぱり優れた監督ですな。あのブラジルのおそらくは唯一の弱点であるところはパワープレイに弱いところだと見抜き、徹底してその戦法で攻めてました。事実、ブラジルは何度かヒヤリとさせられてましたね。結局は負けちゃったけれども、この試合もヒディングの目の確かさがよくわかるゲームでした。

イタリアvsアメリカ=1-1
チェコ戦で大敗したかと思えば、イタリア相手にドローを演じる…、今回のアメリカは結構謎なチームです。アメリカの右サイドがトライアングルを形成して攻め上がることによって、あのイタリアの左サイドが完全に空洞化してました。あのイタリア相手に、それが出来るのがまず驚き。やっぱ、本来の実力を出せば、そこまでのことが出来るチームに、アメリカはなってきてるんですかね。

0 件のコメント: