2006年6月25日日曜日

ナミィのオバァに逢いたい!





調べてみたら87年だったので、今から19年前のことです。

その年の夏、沖縄でジェームス・ブラウンの来日ライブがあって、それを観るためだけに、沖縄に行ったのでした。それが、オレの初沖縄。
このライブが、今思い出すだけでもゾクゾクするほど、素晴らしいものでしね。ジェームス・ブラウンのコンディションは上々、そして米軍基地の黒人兵が大挙して聴きに来るという、時代も場所も最高のセッティングだったんです。

本チャンのライブだけじゃなくて、そのあとも素晴らしかった。

ライブ終了後、コザ市内のクラブ『なんた浜』に、嘉手苅林昌の琉歌を聴きに出かけたのでした。当時、まだまだ本土では無名だった沖縄民謡を精力的に紹介していた竹中労が音頭をとって、ジェームス・ブラウンに負けるな!ってかんじで、こっちでもライブ。店内は、ジェームス・ブラウンのライブから流れたお客さんでいっぱいでした。

このとき、オレは、嘉手苅林昌の歌う八重山民謡を初めて聴きました。晩年のじゃなくて、全盛期だった時代の嘉手苅の琉歌を聴くことが出来た幸福も今となっては噛みしめずにはいられないんですが、とにかく、このライブがまたてんこ盛りでして。

嘉手苅が八重山の民謡「とぅばらーま」を歌ったとき、客席から、つんださや、つんだーさー、と、名調子の合いの手がかかって、なんと、山里勇吉なんですよ。んで、気づいて周囲を見てみると、いるわいるわ、照屋林助、国吉源次、登川誠仁など、琉歌の大御所各氏が。皆、ジェームス・ブラウンのコンサートから流れてきていたのでした。

沖縄の最重要無形文化財が大集合でした。

琉歌とジェームス・ブラウン、関係がないようだけれども、琉歌の各氏は、ブラックの真髄のようなライブに感動し、対抗意識を燃やしたものと見えました。そして、各氏を交えた琉歌ジャム・セッションは、夜が白むまで続いたのだった。

このときの歌の多くは、八重山民謡でした。

今から考えると、ジェームス・ブラウンのソウルに対抗しての八重山民謡だったに違いないですね。八重山の音楽は、民謡と流行歌が未だ分化していない「原・うた」というような状態にあり、唄本来が持っている情感や躍動感を失ってはいません。だからこそ、ジェームス・ブラウンに対抗して、各氏が直感的に八重山民謡を選んで歌ったのだと考えたい。

ブラックと八重山民謡が互いに触発しあったかのようなこの夜の出来事は、今振り返ってみても、空前絶後の体験だったかもしれません。

ほいで、夜明け前くらいだったから、たぶん、4時だか5時だかだと思うんですが、場が落ち着いてきたころに登場したのが、新城浪オバァ。通称、ナミィのオバァ。

ナミィのオバァは、お座敷芸者。いわゆる、ステージに立って独演会をする歌手とは違います。活躍の場所は、あくまでお座敷。
八重山民謡だけじゃなくて、流行歌、流行歌の替え歌、自作の笑い歌…、とにかくね、笑わせまくってくれました。勢い余ってちょっと疲れが出はじめていた会場を、爆笑の渦に巻き込んでくれたのを覚えています。

それ以後、沖縄民謡が続々と本土に紹介されはじめ、安室奈美恵やSPEEDら沖縄アクターズ・スクール組のブレイク、コッコや元ちとせら才能のある若手の登場、知名定男や喜納昌吉ら再評価、登川誠仁ら大御所の登場と、沖縄の音楽は常に本土に刺激を与え続けてきましたが、ナミィのオバァの名前を聞くことはずーっとありませんでした。

オバァ、もともとがお座敷芸者だし、ステージに立つ歌手じゃないから、メディアに乗ることがなかったんでしょうね。
それが、ですよ! 2003年、突如、CDデビュー。民家のお座敷で録音されたオバァの歌は、その場にいた参加者のおはやしなども聞こえ、楽しい歌や語りの様子が臨場感たっぷりに収められていて、かなりかなり愛聴してました。というよりも、まだ生きてくれていたか!ってかんじで。

なんせ、オバァ、大正10年生まれですからね。今、いくつ? わかりません(笑)
9歳のときに辻町(当時の沖縄最大の色町)の料亭に身売りされて、それから芸者人生一本ですよ。
それから石垣、沖縄本島、サイパン、台湾、宮古と島から島をわたり歩いた芸者人生。壮絶なんだかお気楽なんだか知らないけれども、どっちにしても、オバァの行くところ、笑いの渦です。
お座敷にやってくるすべての旅人、客人たちの歌を聞き覚えて半世紀。島唄はもちろん、明治、大正、昭和、平成の流行り唄もレパートリーに入っていて、歌の大百科事典、人間ジューク・ボックスですからね。レパートリー、何万曲あるんだろうか?

最近目にしたオバァのインタビューで、
「人を喜ばせて生きてきた」というひとことが、とても心に残ってます。
たぶんね、
キレイごとじゃないと思いますよ。お座敷芸者はお客さんを喜ばせることが出来なければ失格で、お客さんを喜ばせられなかったら生きていけないです。ナミィのオバァにとって、人を喜ばすことは、生きるための手段ですよね。身体でつかみとった、生きていく知恵だったはずです。

さてさて、この、ナミィのオバァが、ついに映画デビューまでしちゃいました☆
題して、『ナミィと歌えば』。オレの知らぬ間に、大阪での上映が終わってしまってます…。

んで、気がつけば、いくつかの本も出てる。。
ノーチェックでした。
これからしばらく、ナミィのオバァ関連を攻めてみます。

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