2007年6月4日月曜日

若冲カメラ

承天閣美術館の伊藤若冲展、行ってきやしたぜ。
GWのまえから、行きたい!行きたい!と呟いていて、実際、行く段取りも組んだのだけれども、なんだかんだで流れてしまい、気がつけば、とうとう最終日。
もはやこれまでか…、と、一旦はあきらめかけたんですが、急転直下、滑り込んできました~。相方さんが、ナイス・アシストをしてくれましたね☆

先に行かれたgoutさんはじめ、どこを見ても、待ち時間2時間!ってことは聞いていたし、3日は最終日の日曜…、どんだけ待たされるのかと、戦々恐々で行ったんですが…。
一応、朝イチにね、行ったんですよ。待ち時間の被害を最小限に抑えようとしてね。
朝10時開館だから、9時過ぎに到着目標で行ったんですが、途中、goutさんからの緊急報告で、な、なんと開館が前倒しになっていて、朝9時からになっていることが判明! そんなの、公式サイトに書いてません!
なので、ダッシュで行ってですな、到着したときには行列はもちろん出来ていたのですが、なんとか30分待ち程度の待ち時間で済みました~。
いや~、2時間待ちを覚悟してたので、30分で済んだのはラッキーでしたわ。

会場は、2つにわかれていて、第1会場は「葡萄図襖絵」などの、墨絵。
第2会場が、メイン・ディッシュの「動植綵絵」と「釈迦三尊像」全33幅。
goutさんからのアドバイスによると、メインの第2会場から第1会場へ引き返すことは出来ないんだけど、第2会場にバーンと展示された全33幅の全体像をぜひ目に収めたほうがいいので、なるべくなら第1会場をそこそこにスルーして、第2会場を!とのこと。
なるほど…、第2会場から第1会場へは、引き返すことが出来ませんか…。
たしかにね、墨絵だけなら、他に好きな画家がなんぼでもいるし、伊藤若冲の墨絵って、それほど興味があるわけでもないんですね。
なので、第1会場のスルーも本気で考えたんですが、が、しかーし、すでに第2会場への入場規制がはじまっており、まあ、それなら第1会場もちゃんとみようか、と。

第2会場に入るのに30分程度待たされて、こんときが、一番の苦痛でしたな。

で、念願の、「動植綵絵」と「釈迦三尊像」にご対面! 入場規制中とはいえ、結構な混み具合ですが(笑)
さて、この作品については、先日、予習めいたことをたっぷりと書いたし、今さらなにを書けばいいんでしょうか…。

これ以上、書き足すこともないのですが、感じたことを少し。
やっぱ、描写の妙には、ホーッと思わせるものがありました。

えーっと、オレは、毎日毎日、某かの日本語を書き綴ってお題をちょうだいしているのですが、日本語を書く際に一番心を砕いているのは、描写なのですね。

たとえば、部屋を描写するとします。

ドアを開けたときにまず目に飛び込んでくる風景、たとえば窓と窓越しに見えるものを中心に、窓の周辺、天井、床と、窓に近いところから遠いところに向かって、視線の動きにあわせて描写するやりかたがあります。
そのときに、視線の主が探しているもの、たとえば時計だったら、時計についての描写は針の長さから時計の色まで細かく描写するけれども、それ以外のものは、おおざっぱにとらえた描写しかしない、あるいはまったく描写しないというやりかたもあります。
意識でモノを見るのなら、時計のなかの基盤や歯車だって描きます。
夜なら、窓の外に見える車の色は、本当は深緑なのかもしれないけれども、月明かりに照らされたその車は、視線の主には、黒に見えるかもしれません。
ときには遠近法を使って、ときに恥感の経過に沿って、ときには肉眼で見えない細部まで、描写することがあります。

要は、どのカメラをつかって描写するのかということなのですが、それはもちろん、そのときどきのケースで違うわけで、でも、人間の目というのは、そうしたカメラを、無意識のうちに使い分けているわけです。
望遠をつかっているときがあれば、広角レンズやマクロレンズにとりかえてカメラを使っているときがあります。写真のカメラのときがあれば、映像用のビデオカメラのときがあります。曇って見えるフィルターを被せていることがあれば、赤いフィルムを被せていることだってあります。
人間の目はそれを無意識のうちにつかいわけるけれども、日本語に書き写していく際には、そこに心を砕かなければ、映像が立ち上ってくるような文章は、書けません。

そういうことをね、伊藤若冲の、「動植綵絵」を見ていて、強く思いましたね。

たとえば、鶏にしても、羽から足まで、どこまでも執念深く、細かく描かれています。一方で、その背後にある松の枝などは、大胆に矮小化されている…。
上から水面越しに水のなか眺めていたはずの視線は、絵の下部に行くと、水底にいるような視線に変わっています。
現実にはあり得ないはずの姿態を描いた動物も、たくさん見受けられます。
まさに、オレたちが普段の肉眼で見ているものとは違うものが写るレンズとカメラで、伊藤若冲は見ています。そこがね、やっぱ、おもしろいですわ。

もちろん、どれも、ことごとくが、超リアルな写生の技術でもって描かれているので、それは現実そのもののはずなのですが、レンズが違うために、どこか奇妙な感覚を覚えさせられます。
現実でありながら超現実的。
相方さんは、シュールレアリズムの世界やなあ、と言っていましたが、それは言い得て妙かもしれません。
でも、生命力を見抜くために、若冲は、そのカメラを獲得する必要があったのでしょう。

そのレンズを獲得するまでに、どれほど、現実の動植物に目を凝らしてきたのかということに思いを馳せると、空恐ろしいものがありました。
なんといっても、10年がかりの大作ですからね。

滑り込みのぎりぎりセーフでしたが、見にいってよかったですよ。



こんな夜は、なんとなく、トム・ウェイツが似合うような気が…。

Tom Waits / I Don't Want To Grow Up

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