2007年6月12日火曜日

しらふよりも酔っぱらってるほうが罪は軽い?


導入に向けて試行錯誤が続いている裁判員制度。
模擬裁判が、あっちこっちで行われているみたいですね。

昨日だったか、テレビか新聞かでちらっと飛び込んできた話で、こんなのがありました。

酔っぱらっている状態で殺人を犯した場合と、しらふの状態で殺人を犯した場合、どちらの量刑が重いか…。

これ、裁判員が出した結論は、酔っぱらっている状態で殺人を犯した場合のほうが、量刑が重い、と。
要するに、酒飲んで酔っぱらうのは勝手だし、当人はそのためにタガが外れやすいことも承知しているのだから、酒飲んだ末に殺人を犯すほうがよっぽどタチが悪い、と。

ところが、これまでの判例、つまり法律家の感覚だと、酔っぱらっている状態というのは、ある種の心神喪失状態だから、情状酌量が認められて、しらふの場合よりも量刑は軽い、と。

裁判員というのは、過去の判例に縛れることなく、議論を尽くした末に、決められた量刑の範囲内で、印象レベルで量刑を決めてもいいことになってます。
そうして、市民感覚を裁判の判決に反映させたいってことですが、裁判官と裁判員って、やっぱ、感覚が違いますね。

これ、なかなか興味深いデータだと思いました。

逆のケースもあって、
斟酌すべき事情もなく、誰が見ても悪い場合、さあ量刑をどうしよう!となった場合、一般的に、裁判員よりも裁判官のほうが、厳しい量刑を出してくるみたいです。
裁判員が、これは懲役6年が妥当なんじゃないんかといった場合、裁判官は、懲役8年くらいを思っている場合が多い、と。

ただ、裁判員が参加する裁判というのは、ヘビーな案件にかぎられていて、死刑か無期懲役か懲役20年か、といったものだけです。
ということはですな、死刑か無期懲役かなんて重大な決定を、裁判員はせねばならんわけで。
これ、厳しいですね。
国家に殺人を負託する決定を、一般人の裁判員が出来るんですかね?

たとえば、山口県光市の母子殺害事件は、最高裁で高裁への差し戻し決定がくだり、高裁で再審議がはじまっています。
そこに、自分が裁判員として参加していたとして…、
これは相当に厳しい決定を迫られますよ。
オレは、死刑制度は廃止すべきだと、薄々ながら思っています。
えん罪であった場合の不可逆性はさておき…、
国家が神の代理行為としての殺人を犯していいとはやっぱり思えないし、殺人を仕事とする職業が公式に存在し、その人の報酬の一部を税金というかたちでオレも支払っているのだという図式は、やはり想像したくないのですね。
でも、一方で、奥さんと子供をむごたらしく殺された夫の元村さんの無念は痛いほど、わかりすぎるほど、わかります。そして、あの犯人に、もはや更正の可能性などないのだということも、わかります。
さらに、日本には、終身刑がありません。
外野にいれば、いろいろなことが言えます。
でも、自分が決定を下す当事者だったとしたら、答えの出しようがないようにも、思います。

しかも、日当、1万円で。
ちなみに、そういうヘビーな案件の裁判は、それなりにキャリアのある裁判官が担当しますから、そういう裁判官の年収は1000万円を超えますから、おなじ席で決定を下す仕事をしても、ギャランティが全然違います。
こうした決定は厳粛なもののはずだから、ギャランティの大小は問題ではないでしょうが、裁判官と裁判員のギャランティの差は、少し大きすぎやしませんか。


今日、神戸地裁が、裁判員制度のことを知ってもらうという企画で、なにやらスローガンの入ったトートバッグを配っていました。
役所というところは、本当にどうしようもないなあ、と思ったですよ。
スローガンの入ったトートバックなど受け取ったところで、裁判員制度を知ったり、理解を深めたりする人など、ひとりもいません。
方法は、他にいくらでもあるはずなんですけどね。

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