2007年11月16日金曜日

ならたび3 明日香のお寺さん編

ならたび日記、まだ続きます(笑)
鬼の雪隠、鬼の俎、亀石とまわって、聖徳太子生誕の地である橘寺にてやっとお寺さん巡りらしくなってきたわけですが、次に向かった先は、石舞台古墳。

こいつは、さすがに蘇我馬子の墓だけあって、変哲な石ではすまない代物ですな☆
山のなかに突如として開けた広大な広場の真ん中にこいつはありまして、まさに、舞台といった趣です。
修学旅行生やら家族連れやらが、シートを広げてご飯を食べたり、遊んだり、気持ちのいい時間を過ごしてはりましたわ。
オレと相方さんも、ここでお昼ご飯。
相方さん、食後すぐに寝てましたけれどもね(笑)



すすきがたくさん風になびいていて、ひろびろとしていて、絶好のお昼ご飯スポットですよ☆



石舞台古墳は、こんなのです。あたりまえですけれども、歴史の教科書でさんざん見たのとおんなじ、例のやつです(笑)



この石組みの下に、四方10mくらいの地下室がありまして、そこに棺が納まっていたらしいのですね。ま、墓荒らしに遭ってますから棺自体はなくなっていて、文献から蘇我馬子の墓らしいということがわかっているって話ですが。
しかし、この下に地下室があるなんてことは、教科書には書いてなかったような…。

飛鳥時代というのは後期古墳時代と重なっているのですが、最大派閥を誇った豪族の長の墓とはいえ、皇室関係者じゃないせいか、仁徳天皇陵みたいなでっかい古墳ではないのですね。
政治的な理由からとはいえ、日本に仏教を広めた功労者だし、聖徳太子の後見人でもあったわけだから、もっとでっかい墓か菩提寺みたいなお寺さんがあってもよさそうなものですが、ない。これだけ。
彼の死後すぐに勃発したクーデター、大化の改新で蘇我氏一族は根絶やしにされてますから、そういうことも影響しているのでしょうね。

ときの権勢者というのは、後年の権勢者によって否定されるのが常ですが、なんか、兵(つわもの)どもの夢の跡ってかんじで、無常さを感じますですよ。

さて、腹ごしらえもすんで、次に向かった先は、岡寺。
山のてっぺんにありまして、途中、心臓破りの坂があり、チャリではかなりしんどいところをフーフー言いながら登っていった挙げ句に、最後は、坂が急すぎてチャリが禁止となってましたわ…。
ったく、どうして山寺というのは、どこもかしこも険しいところにあるのか…(笑)
でも、高いところまで登った甲斐あって、景色がよくてですね、明日香の山里が一望ですよ☆



ここはいいお寺さんでした。
梅に桜にシャクナゲにサツキにツツジ、アジサイに芙蓉にムクゲ、紅葉と、1年を通じて花が咲き乱れる花寺ですね。こんときは、紅葉が間近まで迫ってました。

それに、本堂の屋根のかたちがいいです☆
正面の曲線がね、たまりません(笑)



三重塔も、気品があります☆



本堂にある如意輪観音像がタダモノではないと思っていたら、東大寺の大仏と並んで、奈良の三大仏ですと。もちろん、重文指定。
んで、本堂まで来て初めて、相方さんが、ここは来たことがある!と。
相方さんは3年くらい前に一瞬だけツアコンのバイトをしてまして、そんときに来たんですと。本堂を見て、初めてそのことに気がついたんだとか(笑)

ちなみに、ここは日本で最初の厄除霊場でもありまして、西国三十三ヶ所観音霊場の第7番札所でもあります。
相方さん、御朱印帳を買ってはりましたわ(笑)
オレと一緒にお寺さん巡りをするようになって、どーせなら!ってことで、御朱印を集めたい!と思うようになったらしいのですね。
ほいで、このお寺さんは再訪するのがなかなか厳しいお寺さんでもあるので、ここで御朱印帳を買って、このお寺さんの御朱印を押してもらわなければ、次にいつ来れるかわからん!と思い立ってですね、めでたくご購入ですよ。
なんか、オレよりものめり込んではります(笑)
そのくせに、行ったことのあるお寺さんの名前とか、全然覚えないんですけれどもね。

オレは、御朱印にはそれほど興味がなくて、こいつを集め出すと、コンプリートするためにお寺さん巡りの数を無理矢理こなしそうな気がして、というか、自分の性格上、きっとそうなるであろうことが読めていて、お寺さん巡りくらいは野望も邪心も抜きでのんびりやりたいなあと思っているので、オレはなんもなしで。
だいたい、写真だって、以前は撮ってなかったんですが、最近になって記録に残すことを決めたので、それでなくても、写真を撮るという作業が加わっているので、これ以上、御朱印帳なんてのが加わると、忙しくて仕方ありません。

ま、御朱印帳はともかくとしてですな、鐘でも撞いて、煩悩を滅してくだされ、と(笑)



さて、最後に向かった先は、飛鳥寺。

こここそが、日本最古の寺院。もともとは元興寺と呼ばれてまして、奈良に都、平城京が出来たときに、元興寺はそちらに移築。そして、この地には新たに飛鳥寺を建てたわけです。奈良市内にある現在の元興寺には、かつてこの地にあった名残の屋根瓦がありますわ。

ここには、現存する日本製の最古の仏像、飛鳥大仏がいらっしゃいます。
鞍作鳥(くらつくりのとり)がつくったとされていて、彼は渡来人ですから、この時代の百済、つまりコリアン文化が色濃く残っている大仏さんですね。
仏像については、平安時代に仏師定朝が家内制手工業による仏像製作のシステムを確立させ、以後、産業として成り立ち、後年に運慶や快慶といった大天才が生まれるのですが、鞍作鳥がつくっていたころの大仏製作は、産業以前の、まさに、宗教イコンをつくるためだけにつくられたものですから、少なくとも、金銭的な邪心を交えることなくつくられた数少ない仏像ということにもなります。

金銭的な欲望や名声の欲望もモノヅクリの立派な動機となりますから(事実、そうした動機も加わることによって、傑作と呼ばれる仏像は生まれてきました)、それらすべてが邪心だという気はまったくないですけれども、今の時代にあって、そうした動機がまったくない環境でつくられるものなどまずないのだから、その意味でも、この大仏さんは貴重ですね。

これが、飛鳥大仏。ブロンズ製です。ただし、何度も修復が繰り返され、全部が全部、当時のままというわけではないですけれども。




眼がアーモンド型をしていたり、一般的な仏像とはかなり趣が違いますが、日本に入ってきたころの仏さんというのは、こういうかたちをしていたのですね。パンチパーマも、心なしかシブいです(笑)
仏像というのは、要するにフィギュアですから、その作者の美意識が反映されるだろうし、当時、このお顔は、かなりいけている顔だったのでしょうね☆

さてこれで、明日香の遺跡&お寺さん巡りも終わり。
あとは帰路につくのみなのですが、ま、いろいろあったのですよ~。
続きは明日の日記、「ならたび カフェ&どんでん返し編」へ(笑)
次回、最終回です~。

本日はですね、明日香出身で、オレと相方さんが出会う縁となった大切な友人、家根嘉のライブを。

本日の1枚:
『Roofsession』
Yaneka

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