2007年11月30日金曜日

嬉しい不意打ちの僥倖、きりたんぽ鍋



こないだ、某マイミクさんの日記に、オレは違う考えだわ!って反対意見をコメントしたら、数分後、ばっさりマイミクを切られました〜(笑)

べつにケンカを吹っかけてるわけじゃなし、頼むから、好きなことを書かせてくれよ〜(笑)

その少しまえには、
大阪にはまともなきりたんぽなんて手に入らんのだバカヤロー!と、どっかでコメントしたら、な、な、なんと、マイミクさんのポップンキラキラさんが、はるばる北海道から、きりたんぽと比内地鶏のスープを送ってきてくださったのでした!

な、な、なんちゅう、嬉しい不意打ちの僥倖☆
というか、こんな嬉しいプレゼントは初めてです〜。もう、ポップンキラキラさんが菩薩に見えて仕方がありません(笑)
世のなか、善行を積んでいるといいことが…、いや、なんも善行は積んでないので、ひとえに、ポップンキラキラさんの、母のような優しい心配りの賜物なのですが(笑)

うちの市場にも、いい鳥屋さんがあるのですが、比内地鶏は扱ってないのですよ〜。なので、こんなスープ、なかなか手に入りませんぞ☆

最近の比内地鶏は、例の偽装騒動以来、信用が薄らいでいるらしく、「本物であると但し書きのビラが貼ってありましたが、そのへんはアバウトに考えていただき…」なんて気遣いの言葉までポップンキラキラさんからいただきましたが、んなもんね、本物やと信じて食べたら、本物ですから!
オレ、神の舌の持ち主じゃないんで、万々が一、違っててもわかりませんから(笑)

独り占めして全部食べてやろうかとも思ったのですが、一人前にしては量が多いので、神戸の編集部に持っていって、こないだ、みんなで分けていただきました〜。

早速きりたんぽを網で焼いてですな…(初体験!)
すでに焼き焦げがうっすらついていたので、きっと焼かなくてもいいんだと思うのですが、ほら、軽く焙っだけでも香ばしいじゃないですか☆

きりたんぽ鍋の具材ってよくわからんのですが、鶏やろ!ってことで、鶏ピンで鶏肉と鶏のつみれを買って、たしかゴボウが入っていたはずなので、ゴボウも用意し、白菜、マイタケ、シメジ、椎茸、エノキ、白ネギ、豆腐、お揚げさん、シラタキなんかの定番ものもバッチリ用意して、あ、あと水菜。たぶん、場所柄からセリあたりがいいんでしょうけれども、なかったので(笑)

いや〜、争奪戦でしたね☆
事務所に残っている連中と4人でいただきましたけれども、完全に争奪戦(笑)
美味かったですよ〜。
もう、事務所中に比内地鶏のスープの匂いが充満して、皆、恍惚とした表情になっとりましたですよ〜☆

スープの味が濃くて、きりたんぽにしっかり染み込んで、いやいや、美味かったです〜。
ポップンキラキラさん、ほんま、ありがとうございます☆

最後はね、きりたんぽ食べてるから、ゴハン入れて雑炊だとコメが被っちゃうので、おうどんでいただきました〜。

さらに、スープはキレイにシノアで漉して、保存(笑)
えーっとね、こいつで炊き込みゴハンをつくってみようかと(笑)

もう1枚の画像は、同封されていた飴ちゃん☆
ポップンキラキラさんの仲よしマイミクさんの会社でつくってらっしゃるという飴ちゃん。
プロポリス配合の健康食品的なものだとのことですが、むかし懐かしのニッキの味がして、素朴であきない飴ちゃんです。こいつが、どっさりと両手で抱えるほど!
なんか、咽喉によさげで、感想気味のこの時期にありがたい逸品です〜。

いやいや、こんなに一方的にいただいていいんでしょうか?(笑)
早速、大阪名物を探しに走らねばっ☆

2007年11月29日木曜日

最近の大阪名物






日本でたった1台しかない水陸両用バスが大阪の観光ツアーにお目見えしましてですな、プレス・プレビューにお呼ばれされたので、行ってきました。

堺筋本町から出発して、大川をクルーズして、大阪城やら桜宮公園やらを巡るらしいです。
水陸両用なので、陸と川の両方がコースに入っていて、それが1台でいけちゃうんですけれどもね。
ただ、車体を軽くするために、窓がないのですよ〜。
大阪のきったない川と道路を走るのに、窓がないって、相当に厳しいんですけど…(笑)
第一、来月運行開始だというこの時期にですな、窓のない吹きっさらしの乗りもので川を走るって、寒すぎます〜。

大体2時間くらいのコースで大人5,800円なんですが、さて、流行りますかね〜。

さて、その大川ですが、我が家の近くを流れている川でして、川の両岸は毎年春になると延々の桜並木でして、花見のころは大阪でも一番盛り上がるのですが、この川、もともとがドブ川の悪名高き川ですが、最近、エラいことになってます。

えーっと、
ウォーターレタスなるものが流れてくるのですよ〜。

直径10cmくらいの水草なんですが、こいつがですね、尋常じゃない量、大川をプカプカ流れております〜。
きっと、夏の暑さと例年よりも寒くなるのが遅いことから水温が上がっちゃって、異常繁殖してるんだと思うんですけどね。
この大川はわりと水流が速いんですが、それでも各所に溜まりがありまして、そこに、ウォーターレタスがわんさと澱んでおります〜。
はっきり言って、気持ち悪いです。
大阪市が、3億円の予算を投入して除去作業をはじめたらしいですが、じつはここ、水陸両用バスの運行ルートでもありまして、またまた大阪の恥をさらしてしまいそうです〜(笑)
なんせ、道頓堀川とかもそうだけれども、チャリが川底に沈んでいるような川ばっかりですからね、大阪は…。

ちなみに、ウォーターレタスって、勝手に誰かが命名したんだと思っていたら、すでに普通に流通している名称らしいですな。
ホテイアオイみたいに、観賞用に輸入された外来種で、異常に繁殖力が強いんだとか。
異常繁殖がもたらすものは水中の酸素不足と腐敗による水質汚染ですが、あんな川に生きものなんて棲んでないだろうし、もともと水質なんて無茶苦茶だし…。。。



細野さんが若いころにハマったというアーティスト一覧を興味深く見ていました。
これ、いいわあ。
もろ、はっぴいえんどです☆

本日の1枚:

Devendra Bamhart / 『Sea Horse』

2007年11月28日水曜日

『駅前旅館』





月にだいたい30冊〜100冊程度、本を読みます。
幅がありすぎますが(笑) 仕事での移動が多いか少ないかでかなり変わってくるのですよ。

もともとが文学少年のパンク小僧ですから、それなりに読書歴は長くてですね、いわゆる純文学というやつは、ほとんど総なめにしておりますです。全集とか、読みあさってたし。

最近は、というか、この10年以上はもっぱらノンフィクションばっかりですな。
だって、最近の小説で食指が動くのって、年に数冊しかないし。
ノンフィクションはね、知らない世界のことがたくさん書いてあるから、食指が動くのが多いのですよ。それでも、ヘタクソな文章に当たると、放り投げてしまいますが…。
なので、薬の効能書きでも、文章に味わいがあれば、読んでますわ、きっと(笑)

さて小説です。
純文学は、存在の意義だとか孤独だとかがテーマになっているものが多いので、そりゃ若かりしパンク小僧にはぴったりなのですが、そういうことが人生上の大きなテーマではなくなってしまった年齢に突入してしまうとですな、娯楽としての文学に向かっていくのですが、これがね、読むに耐えるものがなかなかなくて…。

お話がよく出来ていても、描写がヘタクソだったり、比喩がヘタクソだったり、要するに観察が浅いのが多くてですね、よくこんなものを恥ずかしげもなく世に出してるな、と。
人間を見る目が浅かったり、キャラ設定がいい加減だったり、時代考証が抜けていたり…。

鬼平犯科帳とかね、やっぱあのクラスのものでないと、そそりませぬ。

と思っていたところ、最近、いい本が出ているのを見つけて、繰り返し読んでいるのがあるんですよ。

井伏鱒二の『駅前旅館』。

これ、新潮文庫から新装で出てまして、むかしの本ですから400円。安い!
井伏鱒二といえば原爆ものの『黒い雨』や教科書にも載ってる『山椒魚』が有名ですけど、これはノーマークでしたわ。

昭和30年代頃の東京・上の駅前の団体旅館が舞台でして、そこの番頭さんがね、宿屋家業の舞台裏をいろいろ語ってくれるのですよ。
業界の符牒にはじまって、お国によるお客の性質の違いから、呼び込みの手練手管、修学旅行生の扱い、美人女将を巡る番頭仲間の仁義と生態なんかがですね、勃発する珍騒動の傍らに織り込まれていて、非常に奥行き深い小説で、かつ、滅法おもしろい!

キャラとはお客さんのこと。
ガマ連れとは女連れ。
ハクイ玉は美人のこと。
お客の懐にカネがたんまりありそうなのは、桁深い。
カネのないのは、桁ハイ、もしくはオケラ。
一人客はピンコロ。
酒を飲むのはドジを引く。
食事をするかどうかは、ハクはいいのか?もしくはハクは出るのかい?
座敷はシキザ。
宿料はケタ。
料金の安いところはケタ落ち。
ご祝儀はバッタ。

言われてみると、なるほど〜ってのもあれば、解説されてもわからんものもありますが、こんな豆知識がですね、随所に出てきますわ〜。

オレが社会人になったころにはすでに、駅前旅館は駆逐されていて、ほぼすべてが味気ないビジネスホテルになってしまっていましたが、たま〜に、ありましたね。
泊まったことも、何度かあります。
しっかりした日本家屋で、瓦葺きの二階建てで、玄関のガラス戸が広く開けてあって、左に下駄箱があって、右にはオモトの鉢なんかがあって、正面の大黒柱には大きな振り子時計があるような…。

板間が引き戸で仕切ってあって、カレンダーの下に金庫や小机が並んでいて、見かけはさほどでなくても奥がやたらと深くて、廊下が2度3度折れ曲がっていて、あちこちに階段が口を開けていて、猫の額のような中庭越しに二階の手すりが見えて、そこにずらりと手ぬぐいが干してあって、迷路さながらで…。

そういう、王国のような場所でですな、井伏鱒二が取材しまくったであろう宿屋家業の番頭さんの生態がこれでもかと盛り込まれ、それを横糸にして、縦に珍騒動が繰り広げられていくという、小説。

涙と笑いとペーソスと酒と女と男と色恋と色恋のバカバカしさと仁義とあれやこれやの入り交じった人情話がね、しんみりほっこりしていて、よろしいのですよ〜。

なんか、少し苦い良薬を飲んだような気分です。

ちょっと寅さんチックなところがあって、こいつを下敷きにしたらいい喜劇が出来るのになあ、なんて思っていたら、むかーし、映画化されていたことがわかりました。

主演、森繁久彌(笑)
いかにも、です。
フランキー堺とか伴淳三郎とか、達者な俳優さんが脇を固めて、マドンナ役に淡島千景…。
なんか、『駅前シリーズ』とかって、シリーズ物になってますな。DVD、出てるのかな? 見たいな。

今、3回目の再読に入ってます。


人情ファンクといえば、P-Funk☆
誰がなんといようと、P-Funkは人情のカタマリ☆
音質、めっちゃ悪いけど(笑)



P-Funk All Stars / 『We Want The Funk』


2007年11月27日火曜日

嗚呼、年賀状…(涙)







この時期、年賀状をいくつか頼まれてまして、ほとんど仕事と仕事の合間に間隙を縫って、エイヤっ!ってつくるんですけれどもね。

ちなみに、オレは年賀状を出しません。
出さなくなって、20年くらいになります。
んなもん、暮れの忙しいさなかにやってられんですわ(笑)
出さないから、来ませんけどね(笑)

出さないけれども、他人のぶんはつくらされるのですよ~。
まあ、お代はいただきますから、仕事っちゃ仕事なんですけれども。。
でも、年賀状くらい、自分でつくったほうがいいと思うんですけどね。

まあ、でも、お代はいただきますから、やりますけど。

んで、今日、エイヤっ!ってつくって、持っていきました。

ひとつは、植木屋さんの年賀状。
もうひとつは、ツアコンされてる方の年賀状。
どっちも、職業をモチーフにして、干支をアレンジして…。

ふむ。なかなかいい出来です☆ 瞬発力だけでつくりましたけれども。
んで、いいのが出来ました~!って、持っていったんですよ。

そしたらさ、どやされました。。。

亥は今年で、来年はネズミだったのですね。
だから、こんな時期から来年の仕事をするのはイヤなんだ。。。。
12年後に使うってことで、これ、納品させてくれないかな(笑)

はぁ、つくりなおし。。。
時間、ないのに…(涙)

3枚目の画像は、mixiで発見したバグ。
cssだけでプログラムを組もうとするから、こんなことが起こる。いい加減、考えを改めろよな。。
と、他人の仕事のミスは、よーく気がつくんですけれどもね(笑)



ってなわけで、涙を拭いて、今からつくりなおし…。
BGMは、超ファンキー&グルーヴィーなオルガン・ファズ・ファンク☆ パオロ・アポロ・ネグリを☆



Paolo “Apollo” Negri / 『AN Evening with Linda Lovelace』

2007年11月26日月曜日

消えゆくもの

ここ数年、とあるお客さんの会社の社長さんの奥さんが所属する団体の京都観光のナビゲーターを仰せつかっておりまして、春と秋に、京都のお寺さんを案内&記念撮影係を強制的にさせられておりまして…。。。

今日、またまた京都ですよ。
3連休でどピーカン&気温もよろしくってことで、こんなときの京都なんて、どこ行ってもどうにもならんですけれどもね。
春先も、銀閣寺と哲学の道と南禅寺と連れまわされたし、ほんま、仕事がたまってるのでカンベンしてほしいんですが…。。。。(笑)

えーっとね、バスをチャーターして、15人ばかり引き連れて、お寺さんを2ヶ所、まわってきました。
1軒目は、圓通寺。
2軒目は、金閣。
金閣って…、1週間前にブラジル人のオッサン連れて、行ったところなんですけど(笑)

まあ、でも、圓通寺は2年まえに行ったきりだし、これはこれでよかったんですけれどもね。

そんなわけで、今日は圓通寺を。
しっかし、京都中の道が大渋滞で、ほんま、バスが動いてくれませんでしたわ〜。


えーっと、圓通寺はなかなかシブいお寺さんでして、京都市内でも平野部の一番北にあるせいもあって、それほど人が訪れないお寺さんなのですね。

でも、清水寺、知恩院、南禅寺、金閣寺、銀閣寺、東寺、三十三間堂、天龍寺、大原三千院、鞍馬寺、東福寺、平等院鳳凰堂、二条城、御所…、ここらの大駒を制覇したら、その次に行ってみたくなるランクのお寺さんです。
その次のランクといえば、詩仙堂、高台寺、高山寺、神護寺、広隆寺、仁和寺、相国寺、大徳寺、建仁寺、泉涌寺、善峯寺、祇王寺、桂離宮、修学院離宮あたりになるんでしょうが、そのなかでも一番アクセスが悪いせいもあって、それほど混んでいるお寺さんではありません。平日の昼間なんかだと、きっと独り占め出来るお寺さんです☆

とにかくね、市バスであれ電車であれ、なにを使っても、かなり歩きます。
山を越えたり、田んぼ道を延々と歩いたりしなければならないのですが、その道中の景色が、のんびりしていて、いいかんじです。
まあ、今回はバスをチャーターしてますから、お寺さんのまえの駐車場に横付けですが、これがね、もったいないの。でも、オバァ連中ばっかりだから、仕方ないですね。年寄りと金持ちは、タクシーで来ますから。

ここはですね、なにもないお寺さんです。
見るべき仏像も、見るべきお堂も、ありません。

でもね、庭が素晴らしい!
そのひとことに、尽きます。

借景庭園でして、樹々のうしろにそびえ立つ比叡山がね、見事です。
生け垣と樹々の葉で空間の上下を区切り、そこに比叡の山並みがすっぽり収まるようにつくられています。
後水尾天皇が作庭したのですが、比叡山がもっとも美しく見える場所を20年かけて探したといいますから、これは金持ち道楽の極みですね。
それでいて、禅寺ですから、金持ち道楽の厭味が、まるでありません。
ゴダールの映画ではないけれども、金持ちでないと出来ない表現って、やっぱりありますね。

この時期は紅葉も美しく、ほーんとに、ずっと見とれてました。
ただ、オレのしょぼいデジカメで撮影すると、せっかくの比叡山が、キレイに映ってくれないのですね。。。
これ、携帯からだと、比叡山が見えないかも知れません。。


さてここは、長らく、撮影禁止のお寺さんでした。
黙って撮影すれば怒られるし、そもそも、入室するときにはカメラを預けなければならないほどでした。
そもそも景色は目に焼きつけるもので写真に撮るものではないからです。
オレは、その考えにすごく賛成で、今でこそ撮影してますが、それは京都の神社仏閣本をつくると決めたからで、そんなことを考える以前にまわった大半のお寺さんでは、1枚も写真を撮ってません。
撮るとね、忘れちゃうんですよ。
記憶装置、記録装置に頼ると、脳が働きませんね。これ、困ったもんですけれども。

今、このお寺さんでは、撮影することが許されています。
じつは、この庭の先で大規模開発の許可が下りて、これからビルがバンバン建つ予定になってしまっているのですね。
住職さんは反対運動を続けていますが、景観を厳しく保存している京都市であっても、この決定は覆らないそうです。
なので、住職さんは、出来るだけこの景色を記録してもらおうと、今、撮影を許可しています。

消えていく景色なのですね。
ですから、目に焼き付けておきたいし、もっというならば、写真ではなく、誰かに、絵を描いてもらいたいくらいです。
この美しい風景よいつまでもそのままでいてくれ!と、センチメンタルな感情を込めて描くもよし、所行は無常で、どんなものでも移ろいゆくという儚さを込めて描かれるものでもいいです。
そうした感情のこもったこの風景の絵を、ぜひ、見てみたいとオレは思っています。

住職さんが厳しいせいもあって、この庭で、ぺちゃくちゃとおしゃべりをしているオバァは、まずいません。
しゃべってると、怒られますから。
おかげで、オレも、今回はラクなお守りとなりました(笑)


そうそう、帰りしな、近くの農家のオバァと話し込んでいたら、掘りたての金時人参をいただいてしまいましたですよ☆
豚汁や粕汁に入れる以外に、なにに使えばいいんでしょうか?
誰か、教えてくださいませ。


圓通寺の近くにある深泥(みどろ)池。
水面に映った景色がきれいです☆



圓通寺の山門です。



比叡山を借景とした庭園。見えますかね? 樹々の後ろにうっすらと青く聳えるのが比叡山です。














庭の反対側は、竹林が広がっています。






こんなに金時人参をいただいてしまいました(笑)

2007年11月25日日曜日

ON / OFF

これは、これから社会人になろうとしている、たとえばマイミクさんのハルーちゃんのような人に、参考になれば。


さて、オレはあっちこっちの事務所に自分の机がありまして、まあ、いろんなところで仕事をしてるんですが、メインはやっぱ、自宅なのですね。
職住おんなじですわ。

んで、東京で、その環境で仕事をしていてオンとオフの切り替えはどうしているのか?という話になりましてですね…、そういえば、この話は、少しまえにgoutさんとお会いしたときにも話したのですが。。。goutさんも、職住おんなじの環境で仕事されてますからな。

オレは、オンとオフがないですね。
ずーっと、オン。
切り替えが必要だと感じたことが、ほとんどありません。
効率の面でいえば、オンとオフの切り替えは必要で、それはわかってはいるんですが、どーしてもね、オフにしたくないというか、ずーっと仕事をしていたい。

たとえば、1日に2時間ずつ費やして、20日かかる仕事があったとします。
トータル40時間です。それをね、40時間を一気にやってしまいたいタイプなのですよ、オレは。なんでって、ルーティンの作業をしているのではなくて、完全オーダーでゼロからクリエストするものばかりですから、これがベスト!ってマッチする案が2時間×20日で出来上がる保証はどこにもなくて、きっとそれに対する強迫観念があると思うんですが、とりあえず、先行逃げ切りで進めて、煮詰まったときにも時間がとれるようにしておきたい、というかんじなのです。

そんなわけで、ぶっ通しで仕事をしているときが多いのですが、身体が、というよりも、頭が疲れてベッドに行くことはあります。でも、ベッドに潜った途端に、ある閃きがあったり、それこそ神が降りてきたりして、翌朝にまわしても忘れたりはしないけれども、いてもたってもいられなくなって、せっかく潜ったベッドから出て、もっかいPC立ち上げて、その閃きをかたちにしたりしてるんですよね。そうなると、もうヘトヘトなんですが、でも、やめられない。。。
ヘトヘトなんだけれども、苦でもなんでもないのですよ。

で、プランニングが固まって、それをかたちにしていく作業に没頭し出すと、もう、メシを食べたり、風呂に入ったり、それこそ寝たりするのが、邪魔で邪魔で仕方がなくなってきます。
晩ゴハンをつくったり食べたりなんてことがものすごくめんどくさくなるから、とりあえずは、そんなの抜きで仕事をしているんだけれども、食べないとどうにもならんですから、泣く泣く、ほんとに泣く泣くなんですけれども、明け方の5時くらいに食べ損ねた晩ゴハンを食べていることもあります。

なんのために仕事をしているのか?と、問われたら、遊ぶため!美味いもん食べるため!って、キッパリと答えますけれども、でも、そんなことよりも仕事のほうがおもしろいから、仕事するために生きてるところは、キッパリと、ありますな。

そんなことだから、オンとオフの切り替えとか、ようするにオフの時間がほしいって思うことがないのですよ。そりゃ、しんどい!が口癖だし、しんどいから今日は仕事しない!って日もつくって、相方さんと遊んだりもするのですが、すぐに仕事したくなる(笑)
そうなると、オフが邪魔になってきます。

結局のところ、好きなことを仕事にすると、そうなりますな。
おなじようなことを、昨日、仕事仲間のプログラマーさんが言っていて、おまえもか!って、ちょっと盛り上がってしまったのでした。

そのプログラマーさんは、コンピュータのプログラムを書くのが大好きで、寝ても覚めても、プログラムばっかり書いてる、って言います。
昨日から今日にかけて、ぶっ通しで会議をしたのだけれども、その会議中も、プログラム書いてましたからね。オレは、mixiしてましたけれども。

メシとか食う時間が、ほんとに面倒くさい!って、彼も言ってました。何日も食べないときがあるそうですわ。病的かもしれないね、なんて、おたがいで笑ってました。

でもなあ、好きなことを仕事にするということは、そういうことなんだと、オレは思うのですよ。
好きを貫く、とか、歯を食いしばるようなイメージでは、ないのですね。悲壮感も、これっぽっちもないですわ。
好きで好きで好きで仕方がなくて、ほかのことなんてやってる暇はないんだよ!って、どちらかというと、笑顔でやっている感覚です。
もう仕事ばっかでヘトヘト!とか言いながら、その実、顔は笑ってる、みたいな。
休め!って身体が叫んでるのに、もっとやりたーい!って、心が言ってる、みたいな。
ゲームがやめられない感覚に、かなり似ていると思いますわ。

まあ、ワーカホリックですよ。
仕事を取り上げたら、なにも残らない人間じゃないですかね(笑)
でもさ、好きなことを除いたらなにも残らない人生って、オレは、やっぱり、幸福だと思いますわ。

このプログラマーさんとは、しばらく一緒に仕事をやっていくことになったのですが、決め手になったのは、好きなことにどこまでも没頭する狂気らしきものをね、宿していたからです。
オレとおなじ匂いがするなあ、って。


今日、相方さんがね、朝が早いから出来るだけ早い時間にベッドに入るんだけれども、ニットのことが頭から離れなくて、全然寝れない!って、言ってました。
相方さんも、少しは、そんなふうになってきたみたいです。

モノヅクリの仕事って、好きへの果てしない没頭、と、同義ですから。
ようやく、少しはニットが好きになってるんだな、と、微笑ましくその話を聞いていたのでした。

2007年11月24日土曜日

広沢池の景観















えーっと、東京で会議しながらmixiやってます(笑)
ま、12時間以上の長丁場の会議なので、なんでもありなのですよ。


こないだ、クンパルシータに行ったことを日記に書いたのですが、そんときは、仕事で京都の嵯峨野に行っていたのでした。
あっちゃこっちゃの紅葉を撮影してまわって、まあ、来年のいろんな雑誌に使う用ですわ。
ほら、雑誌の紅葉特集は、もちろん紅葉がはじまるまえに出版されますから、前年に紅葉写真を撮っておかないとダメなのですね。
そんなわけで紅葉写真をいろいろと撮影したんですが、オレが撮影したわけじゃなし、カメラマンが撮影してますし、仕事用ですから、さすがにここにアップするわけにもいかず…。

でも、途中、広沢池を通ったときに、えらいことキレイな風景に出会ったので、ちょこっとだけ車を止めて、しばし佇んでました。

広沢池は京都の超メジャー観光地、嵐山のその奥にありまして、まあ、この時期ですから、観光客の皆さんも足をのばしてますけれども、それでも嵐山の喧噪に比べたら、全然マシでしたな。
このあたりは景観保存地区にも指定されてるんで、看板がほとんどなくてですな、風景がうるさくないんです。
ちなみに、瀬戸内寂聴サンの寂庵もこのあたりにあります。行ったことないけど(笑)

この広沢池は、それこそ京都に都が移ってくる以前の奈良時代に、コリアンからやって来た技術者集団、秦氏が造った溜め池です。
秦氏一族ってのは、当時の日本にはなかった治水技術や土木技術を持っていて、そのおかげで、京都も奈良もすっきりした都が出来ましたから、日本の礎を造った集団ですね。それでいて、お寺さんの造営したり仏像造ったりもしてますから、もうね、当時の先進的な技術は、ぜーんぶ、この人たちがもたらしたもんですわ。
もうね、あっちゃこっちゃでモテモテだったと思いますよ。
今でいったら、村上隆のアトリエ・グループか、少しまえだとビースティ・ボーイズのグランド・ロイヤルみたいなもんですよ。先端的なデザイナー集団。

さて、嵯峨野は、一番奥にある化野念仏寺(無数のお地蔵さんが祀られているところで有名なお寺さんですね)のあたりは京都の風葬の地でしたから、黄泉の国との入口だったわけです。んで、その手前が、嵯峨天皇の愛した土地。
風光明媚なこの地を嵯峨天皇が愛し、お墓まであるのですが、風光明媚な土地でもあるし、天皇家ゆかりの土地でもあるので、時代が下っても、ときの幕府政府が予算を組んで、景観維持に努めてきたのですね。
それこそ、剪定をしたり、道を整備したり、鎌倉幕府も室町幕府も江戸幕府も予算を組んで、景観維持に努めてきたわけです。

こういうことって、今もむかしもおなじですが、国家予算を組んで政府が景観維持に努めてるなんてことは、一般の人は気にも留めてません。なにもせずとも、景観は維持されてると、漠然と思っていたんだと思います。
明治維新が成ったときもおなじで、維新直後、この地はずいぶんと荒れたんですね。勝海舟が、幕末までにこの地で遊んでいたころのことを思い出して、晩年、ここへ立ち寄ったとき、嵐山も嵯峨野も、荒れに荒れていたそうです。
んで、勝海舟が、地元の人に、なんでこんなことになったのかを聞いたらですな、江戸幕府のころは、幕府が予算を組んで、景観を維持していた、と。でも、明治政府になって、その予算が組まれなくなり、この地は荒れるにまかせたままだ、と。

そんときに勝海舟は悟ったわけですね。国を維持するということは、そういうところにまでくまなく予算を分配することか、と。
それからですよ、再び政府によって予算が組まれ、以後、現在に至るまで、ここは連綿と景観保護地区に指定され、予算が組まれているわけです。

だからか、今も素敵な風景を残してますね。看板とか、いっこもないですから。

そーいえば、オレは旧共産圏の東ヨーロッパを、ベルリンの壁崩壊前と崩壊後と2度訪れているのですが、その街並の変わりように、愕然としましたですよ。
共産党の一党独裁のころは、国家予算を投じて、中世の面影を残す街並の維持に努めていたのですが、民主国家になって、数年で一気にスラム化しましたね。
今ごろになって世界遺産登録ブームを契機にかつての街並を復活させようとしてますけれども、一度壊れた風景を復活させるのは、しんどい事業でしょうね。

予算を投じることもさることながら、条例の整備、民意の形成、意識の啓蒙…、やらなければならないことはたくさんあるわけで、京都はその点、世界的に見ても、相当頑張ってるほうでしょうね。




サンセットといえば、ジャック・ジョンソンかな〜(笑)


Jack Johnson / Better Together

2007年11月23日金曜日

食べるものは、見知った人から買いたい





吉兆がややこしいことになってますな。
店頭販売している菓子やら総菜だけかと思ってたら、店で出す料理にも食品偽装してたって?

そもそも「料亭の味」が、安価で店頭で売られていたりカジュアル店が出来ること自体、暖簾をひろげすぎだわ!って思ってたので、そっちでなにかしらの粉飾が発覚しても、それほど驚きはしなかったんですが(賞味期限偽装を売り子のせいにして口止めの念書まで書かせていたという前近代的なやりくちにはビックリしましたが…)、まさか料亭本体で出してる料理まで、いろいろと偽装していたとは…。

そりゃ、ほかの吉兆はいい迷惑ですわな。

吉兆の後継って、暖簾を5つだか6つだかにわけて、本吉兆は創業者の嫡男を継がせて、残りは全部、娘婿に継がせてるみたいですね。
大阪商人は、今でも、婿を娶らせて家業を継がせるところが多いですから、吉兆もそれに倣っていたんでしょうな。
ボンクラの嫡男に家業を継がせるくらいなら、従業員、取引先、お客さんのなかから選り取りみどりで腕っこきを後継に迎えたほうが、家業繁栄の確率は高くなりますからね。
オレの周りでも、そうやって婿入りした社長がたくさんいてますわ。
創業者の眼鏡にかなうくらいの腕っこきを迎えるわけですから、婿入りといってもマスオさんみたいな肩身の狭い思いをしている人はいなくて、みーんな、ちゃんとトップ面してます。そこで遠慮するような人材なら、そもそもが創業者の眼鏡にかなわないので。

でも、吉兆の場合は、それが裏目に出てしまったんでしょうね。
暖簾を守るよりも、勢力拡大に目がいっちゃったのかな。

そもそも、あのクラスのお店だと、賞味期限なんて発想はないはずです。
朝仕入れたものを、その日に使い切る、残ったら賄いにまわす。いつまでだったら出せるとか、そういう発想自体がないでしょ。ベストのタイミングでしか出さないはずですから。
それをね、在庫を抱えるような商売にまで手をひろげるから、これまで考えたこともなかった賞味期限なんてものに取り組まなくてはならないわけで。
…と思っていたら、店で提供する料理にまで偽装? そりゃ、無理でしょ。
問題になってる船場吉兆は、婿養子の社長の下に、その婿養子の息子が専務になってましたね。このへんも、ちょっと違和感を感じましたです。

さて、ここのところ、ずーっと神戸の編集部で寝泊まりしてまして、今日、やーっと自宅に戻ってきました。といっても、自宅でもやっぱり仕事仕事仕事なんですけれどもね。

んで、久しぶりに家のしたの市場に顔を出してみると、しばらく見なかったねえ!って、声がかかること!(笑)
八百屋でつかまり、魚屋でつかまり、豆腐屋でつかまり…。

結局、今晩は、豆腐を2丁買い込んで、湯豆腐にすることにしました☆
って、これから食べるんですけれども…。

市場で買いものしていていっつも思うのは、ちゃんと会話があって、オレの晩ゴハンの献立を考えてくれたり、体調を気遣ってくれたり、おすそ分けをいただいたり、そういう、真っ当なコミュニケーションがあるのはかなりいいよなあ、ってことです。

八百屋さんとか、今日の白菜は高いから買わんとき!とか、自分とこの商品をつかまえて、平気でそんなこと言ってます。

ほら、顔を知ってる人に対して、人って、悪さをしないもんでしょ。
いや、そりゃ、悪さする人はするけれども、やっぱ、見知った人に対しては、よほどの悪人でないかぎり、変なもんと知っていて売りつけるようなことは、しないもんじゃないですか。

オレがいつも買ってる豆腐屋のオバァは、毎日夜中から起きて豆腐をつくりはじめてね、大豆だけでつくってるから豆腐が甘いしね。消泡剤使ってないから、どっしりしてるし、皿に置いておいても水が一滴も出ないしね。
ジョニーの男前豆腐なんかとは、比べもんにならんですよ。

船場吉兆にしても、赤福にしても、自分らが供するものを食べてる人の姿が、きちんと想像出来なかったんだろうな、と、オレは思うのですよ。
多くの農家が、自分たちが食べるコメだけは農薬を使ってないものにして、農薬を使ってたくさん収穫出来たコメは市場に出す、なんてことをするのは、それを食べている人をリアルに想像出来ていないから、ですね。だからこそ、自分たちが食べるぶんだけは、真っ当なものを、ってなるわけです。
誰かに食べてもらうためにコメをつくってるんじゃなくて、市場に売りに出すためにコメをつくってる。そういうことです。

食べてる人をリアルに想像することが出来たら、そうそう、悪いことは出来ないもんだし、儲けのためにその誘惑に駆られても、思いとどまることが出来るじゃないですか。

オレ、商売の基本は、お客さんをどれだけリアルに想像することが出来るかってことにかかっている、と、いつも言ってますけれども、まさにそういうことですよ。

市場はね、みーんなオレの顔を知ってますから。
この人たちは、オレに変なものを売りつけへん!って、オレは信用してますね。その一点で、オレはいつも市場でモノを買ってますわ。
成分表示って、なにも今にはじまった話じゃなくて、むかしっから信用なんて出来ないし(北朝鮮からアサリのちっこいのを仕入れて、それを島根の海岸に埋めてそこで畜養したら、島根産になるもんね)、それやったら、この人が売るもんなら大丈夫!って、そういうお店を探したほうが早いですよ。

ま、料亭というところは、じつはそういうことで成り立っているはずの場所ですが、船場吉兆は、今回、間違えましたな。一度失った信用を取り戻すのは、並大抵の努力では無理ですよ。

と、洗面器持っていって、そこに水張ってもらって豆腐を2丁入れてもらい、今日は安上がり〜♪と、ひとりゴチながら、オレは思うのでした。

さ、湯豆腐しよっ☆
最後にね、やっぱ、ダシと緑茶を割って、ポン酢を垂らして、お茶漬けにするの。んで、そんときに、豆腐を崩して、お茶漬けに混ぜるとね、美味いんですよ〜。浅葱、とろろ、ノリ、ワサビを添えてね。
豆腐屋のオバァがね、むかし、教えてくれたのでした☆


最近出てきたブルックリンの新生、ハーレム・シェイクス。またまたエバーグリーンなメロディを…。


The Harlem Shakes / 『Old Frames』

2007年11月22日木曜日

99分





この店のことはずいぶんまえに日記で書いたのですが、今日、久しぶりに行ったので、もっかい。

京都のど真ん中に、とんでもないカフェ、基、喫茶店がありましてですね。
今日、3人で京都に仕事に出かけた折り、その店の話をしていたら、行ってみたい!ってことになって、久しぶりに立ち寄ったのでした。
オレ自身、2年ぶりくらいかも知れません。
なんせね、行くなら行くで、ちょっとした覚悟がいるのですよ。

お店の名前は、『クンパルシータ』。
タンゴの名曲から店名をいただいた、タンゴ喫茶(笑)

あのね、日本中どこを探したところで、こんな店はないですから。

風俗街のトバグチにあるんですが、もっとも店の創業が終戦直後の昭和21年なので、風俗店があとから乗り込んできました。それはいいんですね。問題は、風俗店でもないのに、風俗店以上に妖しい雰囲気を醸し出していることのほうで。
まず、地下でもないのに、カフェのくせに、窓がいっこもありません。
港町の場末のバーのような扉を押してなかに入ると、ベルベットの赤で統一されたイスが並んでいて、店内はタングステンでも使ってるのか?と言いたくなるほど、オレンジに輝く照度の低い照明で。で、テーブルとテーブルを仕切る柵は、先が尖っていて、妖しく黒光りしていて、まあ、ラブホのSMルームのような装いですよ(笑)

むかーしの喫茶店って、イスとテーブルがかなり低かったりするんですが、ここも例に漏れずですな、低いのですよ。脚をテーブルの下に入れるのがイヤになるくらい低いし、その姿勢だと窮屈でしんどくてですな、全然リラックス出来ません(笑) 膝頭が出るくらいの丈のスカートをはいた婦女子さんだと、間違いなくパンツが見えますな。きっと、模様までくっきりと見えるはずですから(笑)

まあ、そこまでいいんですよ。
や、それだけでもたいがいですが、そんなことは問題じゃない!っていえるほどに、おそろしいことが待ってましてね。

コーヒーでも紅茶でもジュースでも、注文したものが出てくるのがね、とんでもなく遅いの(笑)
あのね、大げさでもなんでもなくて、ホットコーヒーを注文してから出てくるまで、1時間かかりますから!
だからね、ちょっとお茶でも、ってかんじでは入れない喫茶店なのですよ〜。

なので、今回も、行きたい!ってはしゃぐのはいいけれども、2時間は覚悟しないとダメだからね!そのあとの仕事にしわ寄せが来るからね!って、このクソ忙しいさなかに念押ししてですね、行ったわけです。

店を仕切るのは、ママひとり。
まだ生きてましたか〜(笑)

佐藤美恵さんという方で、戦後直後にお母さんがはじめた店の、美恵さんはその当時からの看板娘で、当時、『夫婦善哉』で有名な織田作之助が木屋町を舞台にした小説を京都新聞に連載していたのだけれども、その作品のなかで、木屋町一のベッピンさんと評された女性です。
でも、んなもん、それも50年以上もむかしのこと。もはや何歳なのかもわからないし、恐ろしくて聞く勇気すらないです(笑) というか、いつ行っても、きっとこれが最後の見納めなのだろうな、と(笑)

当然なのかも知れないですが、かなりの妙齢であるはずの美恵さんの給仕は、恐ろしく遅いです。
まず、動きが遅い。ゼンマイで動いているのではないかと思うほどです(笑)

厨房とホールを行き来するためにカウンターの下の低い通路を通るのだけれども、1日にそこを何往復もし、それを50年も繰り返しているからか、背中はほぼ直角に折れ曲がっていてですね、美恵さんのご尊顔を拝することは、稀です。
注文をとりにくるのも遅いけれども、出来上がるのは、もっと遅くてですね。とにかく、ホットコーヒーを注文して、なにをどうすればあれほどの時間がかかるのかわかんないですけれども、ありつけるまでに平均で1時間はかかるのですよ〜。
水だって、サッと出てきません。思い出したように30分くらいしてから出てくるときもあれば、コーヒーと一緒に出てくるときもあり…(笑)
あ、タンゴ喫茶なので店内にはタンゴが流れているのですが、これがレコードかカセットでして、途中、カウンターを出て、レコードやカセットをリセットしたりするなどの、中断もあります。

が、しーかし、イライラしてはいけません。文句を言ってもいけません。
そういう店なのですよ。この店を訪れるすべての人が、そのことを了承してやってきますから。
だから、ちょいと時間が空いたからお茶でも、という感覚で来てはいけない店なのです。あくまで、優雅にタンゴを聴いて楽しむ、それがメインの店なのですよ〜。

今回、注文してからどれくらいかかるのか、計ってみました(笑)
先客は、オッサンがひとり。
んで、こちらの3人は、全員がホットコーヒー。
席について、2、3分で恵美さんが厨房から出てきて、注文を聞いてくれました。このレスポンスは過去最速で、これは期待が持てるかも!って思ったもんですよ。

恵美さん、スリットの入った黒のロングスカートに白のブラウスのうえに黒のカーディガンを羽織ったシックな装いです。この年代の京都人だと和装が多いのですが、恵美さんは戦後間もなくからのタンゴ喫茶の看板娘ですからね、ハイカラさんなのですよ☆ あ、足下は毛糸の靴下にサンダルでしたが(笑)
黒々としたロングヘアーはキレイにシニヨンにまとめられているのですが、なんせ腰が直角(笑) 顔が真下を向いてますので、そのご尊顔を拝することは叶いません。叶いませんが、真っ赤に引いた紅がチラチラ見えて、艶かしいです☆

さて、注文してから28分が経って、恵美さんが厨房から出てきて、トレイにコーヒーをひとつ載せて、やってきました。
おお!早いっ!と思ったのもつかの間、そのコーヒーは先客のオッサンのものでして、オレたちの歓びはぬか喜びに(笑)

もちろん、恵美さんのコーヒーは1杯だてですから、いっぺんにつくるなんてことはないのですよ〜。いや、つくってほしいもんですけれども。

さて、お水も出てきません。
手持ち無沙汰なので、おもむろに新聞でも。
このお店、だいたい昼の3時にオープンするのですが、なぜか朝刊各種が取り揃っていまして、ちなみに夕刊はありません。。。。

あ、恵美さんが厨房から出てきました。
36分経過。
レコード盤を引っくり返して、また厨房に戻っていきました。

それにしても、なーんでこんなに時間がかかるんでしょうか?(笑)
コーヒー豆を採集するところからやってるとしか思えません。。。。

えーっと、77分経過。
まだ、なんの音沙汰もありません。

90分経過。
恵美さん登場。
トレイに、水が入ったグラスが3つ、載せてます。。。
んで、やっとお水が到着してですね、もうすぐコーヒーが出来ますからね♪と(笑)

99分経過。
おおっ! 恵美さんがトレイにコーヒーを3つ載せて登場☆
えっ? もしかして3杯いっぺんにつくったの? それでもこの時間?

いやいや、コーヒーを注文してから99分ですよ〜。
先客がいたとえはいえ、これはあまりにも時間が…、というレベルの話でもないですが(笑)

澄んだ切れ味の美味しいコーヒーなんですけどね、でも、さすがに疲れました〜。
結局のところ、そういう店なのだと思わなければ、とても行けない店なのですね。
だから、覚悟がいるのですよ(笑)
今日も、昼の3時に入って、店を出たときには外は暗くなってましたから。。。

そもそも、午後3時開店という不思議な開店時間にもかかわらず、店が3時ちょうどに開くことすら毎日ではなく、4時、5時、6時に開店がずれ込むことすら珍しくはないわけで、それを考えると、今日は3時に行って店が開いていたのだから、これはラッキー!だと思うしかないのです。。。

そしていつも、店を出るとき、次来るときまで恵美さんは生きてるのかなあ、と(笑)
なんせ、ゼンマイで動いてますからね☆

はあ、疲れました(笑)


ピアソラのリベルタンゴを渡辺香津美がやってます☆

本日の1枚:
渡辺香津美 /『Libertango』


2007年11月21日水曜日

ミシュランの東京版ねぇ





ミシュランの東京版が発売されましたなあ。
今、神戸の編集部にカンヅメ状態になってるので、外とかまともに出てないんですけれども、出版社のよしみで贈呈本が送られてきましたわ。
といって、東京版なので、オレにはまったく不要なんですけれどもね(笑)

日本料理店が意外と多いみたいだけれども、「(フランス人)旅行者のためのガイドブック」だから、そりゃ、そうなりますわな。
だって、和食系の審査員に5人中3人がフランス人だもんね。

ただ、日本語版と英語版しか発売されず、フランス語版が出ないのは、どういうことですかいな?(笑)
東京進出しているフランス本国に本店のあるレストランを応援するのが目的で、それはフランス本国人には恥ずかしくて見せられないからフランス語版は発売しない!って、穿った見方も出来ますが(笑)

ヨーロッパを旅していたころって、ミシュランとロンリー・プラネットは手放せんでしたけれどもね。
店がどうというよりも、ロードマップが充実してますからな。


さて、今日の報道を見てますと、
☆ばっかりがクローズアップされていて、スプーンの話は二の次になってますな。
☆は料理の評価だけれども、オレ的には、居心地のよさを示しているスプーンの本数を見ているほうが、判断基準にはなりますかね。

東京版でも、☆3つは8店だけれども、居心地最高位のスプーン5本は4店。
『すきや橋 次郎』は料理で☆3つを獲得してるけれども、カード使えないわ、トイレも共同だわ、それでいて予算3万円以上なもんだから、スプーン1本だし。
逆に、『トゥール・ダルジャン』は料理の☆は1こだけれども、スプーン5本!
オレなら、『トゥール・ダルジャン』に行きますな。
スプーンを獲得するほうが、はるかに難しいですから。まあ、外国語の通訳がどれだけいるか、みたいな項目も入っているので、日本人のオレにはあんまり関係ない話なのかもしれんですけれどもね。

ただね、ミシュラン・ガイド総責任者のジャン・リュック・ナレのはしゃぎっぷりから、こいつはあんまり信用が置けないので、オレは、今回の東京版をそれほど信用しません。こいつは、オリエンタル急行をむちゃくちゃにして下品極まりないものにした人ですからね。なので、東京に行くときでも、ミシュランを見てどっかの店を選ぶなんてことは、きっとしないだろうなぁ。

もともとガイドブックを参考にすることもほとんどないし。
いつも思うのだけれども、どこの誰だかわからない人の舌と嗜好がオレのそれと合致するなんて幸福はそうそうあるものではなく、勧められて行ってみたらゲロゲロ!なんてことはよくある話で。

なので、そんなものよりも、オレと似たような感覚でお店を選んでいる方のお勧めが一番ですわ。



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神戸の編集部でも、寄せ鍋(笑)
いつも〆におじやかうどんばっかりなので、今回は趣向を変えて、お茶漬けに。

1)ドキンちゃんからもらったワカメのふりかけを混ぜておむすびをつくってですな、網で焼いて、焼きおにぎりをつくります。もちろん、おこげ付きで☆

2)焼きおにぎりをお茶碗に乗せて、とろろ昆布、わさび、浅葱を乗せて、鍋のダシをざーっとかける。

3)旭ポン酢を数滴垂らして、焼きおにぎりを箸で崩しながら食す。

美味☆


画像は、
・レストランで極秘調査をするミシュランくん
・鍋の〆のお茶漬け



最近のお気に入り☆ ダーティ・プロジェクターズ


Dirty Projectors / 『Rock'n Roll Hotel』

2007年11月20日火曜日

セレブっていったら地雷除去でしょ☆





アートソルジャー(笑)チン↑ポム。
2、3年前から気になっていたのですね。結構、気になって仕方がないのですよ。目のうえのたんこぶ?(笑)
だいたい、アート・ソルジャーってなによ? エロ・テロリストみたいなもんか?

オレオレ詐欺が流行り出したころにですな、『オレオレ』というパフォーマンスをやっていて、こいつはですな、無作為に選んだお年寄りに電話をかけて、こちらからおカネを振り込むという音声作品(笑)

前作の『スーパーラット』はDVDで観たけれども、かなり笑かしてもらいましたな。

要するに、都会に巣食うドブネズミを捕獲するために、ドンキで買った虫取り編みを手に深夜の渋谷センター街を徘徊、路上の傍らに積み上げられたゴミの山を蹴りあげて、ワラワラと溢れ出てきて目にも止まらぬ速さで街の隙間に逃げ込む無数のネズミを虫取り網ですくい上げようとするのだけれども、すぐれた運動能力と学習能力をもつスーパーラットはその網をかいくぐってですな、脱出しやがるのですよ。
この捕獲と逃走の攻防劇の一部始終を捉えたのが『スーパーラット』なのですが、べつに、街の美化運動などではなくて、ネズミ相手のバトルロワイヤル的爽快感がありましてね、爆笑また爆笑☆

ところがそれで終わるわけではなく、チン↑ポムがそこで掲げたステートメントは、「待て、スーパーラット! 僕たちは敵ではないチン↑ポムだ!」(笑)

なんだ、同志だったのか☆(笑) ぢゃ、捕獲するなよ(笑)



新作の『アイムボカン』のステートメントが、奮ってます☆

ヘップバーンからアンジェリーナ・ジョリー
マドンナへと続くダイアナ・スピリッツ溢れる文脈を
ボランティア精神にのっとって
ギャルカルチャーにのっとって
格差社会を誤魔化す偽善だとの痛烈な批判の声は
まあ一先ずおいといて
僕達も何故か積極的に紡いでいく

何故か

「ロード トゥ カンボジア」
そこに地雷があるからだ
吹っ飛ばすべき物は実の所
僕達が持っている気がして仕方が無い

「地雷撤去」
超セレブっぽい夢を叶えるべく僕達は
アコム発HIS経由カンボジア行き
格安航空券を手に入れる

いざ
遺言すら書かずに飛んで行こう
ただ
誤解の無い様に一つだけ言い残して置くとすれば
「遊びじゃないんだよ!」と
母親に一叱された一言を使い回して置くとしよう
だからもし何かあったとしても
これは完全な自己責任である
しかし何だというのだろう
僕達は世界に責任を負わない個人になんて成り切れない
さあchim↑pom
今こそボランティア精神を発揮しよう
これこそセレブのたしなみだ


ブランド物バッグや石膏像を爆破。その残骸を展示してさ、東京でやった個展では、最後にオークションまでやったらしいじゃないか!
どこまでセレブぶる?(笑)



敵がいない敵がいない!って悩んで閉塞しちゃってるアート界は、なんでセレブリティを標的にしないんだ?って、ずっと思ってました。
そしたら、チン↑ポムがやってくれたわ(笑)
持たざる者の芸術って造語が、イタリア語かなにかにあったような気がするけれども、それって、こういうことでしょ。

オレはやっぱり、世間に対して、アッカンベー!をしてる連中が大好きですわ☆

関西に来たら、絶対観にいく☆



反権威っていったら、やっぱ、ザッパでしょうな☆


Frank Zappa / 『Apostrophe』

2007年11月19日月曜日

金閣へ行く

よくある話、というもののひとつではあるのですが…、
「ここに金閣寺がなければ、どんなに素晴らしいものか」
「どうして?」
「オレが金閣寺を造る」
というものがあります。

大北山の麓。金があれば誰でもなにか大きなものを造ってみたくなる場所ですな。

むかし、ここは地方豪族の中資王の領地でした。これに目をつけたのが西園寺家の創立者、西園寺公経。公経は承久の乱のときに北条氏の味方となり、その功績を買われて太政大臣になった男ですから、政治の力量も相当にあったのでしょう。
政治力もあったけれども、生来の建築好きでもあり、ここに目が向いたらカーッとのぼせ、尾張にある荘園と交換してしまったのでした。
室町時代のことですわ。
スケールはだいぶ下がるけれども、先祖伝来の田舎の土地を売って都会の外れに建て売り住宅を買うサラリーマンのようなものですな。

念願叶って手に入れたこの土地に、公経は結構を極めた寺院兼別荘を造り、西園寺と命名しました。貴族としての自分の家名も、大宮から西園寺に変えてしまったのだから相当なものですが、もっとも、家名は家号(屋号)だと考えれば、どうということはないです。

西園寺の寺境はなかなかに広大なものでして、その北には公経の別荘が建てられ、北山殿と呼ばれるようになりました。
贅を尽くした貴族の邸宅としては藤原道真の法成寺殿が有名だったのですが、公経は、この法成寺殿に張り合うつもりだったのだといわれています。

法成寺が素晴らしいと世間はいうが、北山殿には山の景色というアドバンテージがある。都を離れた眺望のよさに叶うものはない。

と、『増鏡』にあります。まあ『増鏡』は、西園寺家のパンフレットという側面を持っていますから、そういうことが書いてあってもいいのですが、どこまでが本当なのかは、眉唾ですな。教科書に載っているテキストだからといって、簡単に信用しないように(笑)

法王や天皇がやってきて、滞在することもありました。
南朝勢に追われてしばらく近江に逃げていた天皇は、この北山殿に仮住まいしていたとか。

その後、西園寺の隆盛に衰えが見えはじめ、しばし、荒廃します。

3代将軍足利義満がここへ新しい北山殿を再建したのは、応永4年(1397年)。
で、その北山殿の舎利殿として造られたのが、金閣です。
将軍義満のすべては、この金閣寺に代表されるといっても過言ではないですな。

足利幕府を開いた尊氏は隆盛を見る間もなく没したけれども、義満は、いわば、生まれついての将軍であり、富と権勢をほしいままにするという、なんとも羨ましい境遇でね。

ただ、これほどのモノをつくる人物なのだから、野心に底がなく、常人には理解しがたい、破天荒そのものでもありましたな。
明国に対して、天皇を飛び越えて日本国王を名乗ったので、明の皇帝に臣従する礼をとったのはけしからん、ということになっています。しかし、義満にいわせれば、オレは将軍を超えた存在であり、将軍の権威は天皇によって授けられるが、将軍以上の存在であるオレが天皇を無視するのは当然だ、という論理なのですよ。
明の皇帝に臣従したのも、こうしなければ自分の権威を裏打ちするものが得られないからです。
要するに、天皇よりもでっかい存在をバックにつけて、日本国内では一番エラい存在を目指した、と。

明国貿易の利益を一手に収め、国内では守護大名の上に君臨する専制君主となったのが、義満です。
その明国では、黄金がなによりも尊重され、工芸品の価値は、黄金をどれだけ使っているかで決定される風潮でありましたから、義満が君臨する日本国も、黄金の世界に巻き込まれたわけです。
日本はエルドラドということになっていましたから、金閣は、金閣以外ではあり得なかったのですね。

義満以前にも金をふんだんに使った建築物はあります。
中尊寺もまた、古くから黄金郷と呼ばれたところですな。
義満がすごかったのは、金を直接召し上げるのではなく、金を流通させるシステムを構築し、流通経路のすべてから税を徴収したことです。これで、何倍もの富を築くことが出来るようになりました。

総工費は百万貫を超えていたといいますから、現在の価値に直して、どれくらいのものですかね? 昭和62年には総額7億5千万円をかけて漆の塗り、金箔の貼りが行われています。だからそのあたりの金額になるかと思ったら、ところがどっこい、これが大間違い。往時の金閣は、今の何倍もの領地を誇っていましたから。

造営工事を分担させられた大名たちは泣く泣く協力し、その名残は鏡湖池に点在する巨大な細川石・畠山石の名に伝わっています。もっとも、大内義弘はただひとり、工事分担を拒否。
武士なのだから弓矢(戦)で仕えるのみ、と、なかなか威勢のいい啖呵を切ったのですが、この反抗が災いの元となりまして、まもなく滅亡させられてしまいます。
しっかし、自分のいうことを聞かないからといって、一族もろとも滅ぼしてしまうようなトップって、商売人からすれば、あり得ませんけれどもね。このへんも、義満の破天荒っぷりが見てとれますが。

応永8年(1401年)、義満は北山殿に日本国の政庁を置くことを宣言。
すでに7年もまえ、義満は将軍職を息子の家持に譲っていて、将軍の政庁は室町にありましたから、室町と北山の2元政治になってしまいはせぬかとも危惧しないわけではないのですが、室町との競合など、起こるはずもありませんでした。それほど、義満の権勢は凄みがあったのですね。

でもですな、義満が亡くなると、広壮華麗な北山殿を維持する力は、幕府にはありませんでした。
財政もさることながら、義満のような桁外れのスケールを持った政治家など、何代もおなじ家から続いて出るわけがないのですから。

金閣寺は正しくは北山鹿苑寺といいますが、その鹿苑寺というのは、義満の菩提を弔うために金閣を中心にして建てられた寺院全体を指します。勘違いしている人も多いですけれども、金閣が先で、鹿苑寺が後なのですね。

北山殿の金閣以外の建物は解体されて、南禅寺や建仁寺などの禅宗寺院に移築されました。
したがって、義満に直接のかかわりのあるのは金閣だけになってしまったのだけれども、それでも庶民からすれば、キンキラキンの建物は人気がありますから、江戸時代には早くも料金を納める者には拝観を許すようになっていました。
京都と大阪に旅した江戸時代後期の物語作家、滝沢馬琴が、
「1人から10人までは、銀2匁を寺僧に渡せば庭の門を開けて、入れてくれる」
と、書いています。他の寺院については、なんとも書かれていないのにね。

ま、その金閣も、1950年にはひとりの僧によって放火され、炎上してしまいます。
このあたりのことは、三島由紀夫の『金閣寺』、水上勉の『五番町夕霧楼』や『金閣炎上』に詳しいですな。


ということをですな、このクソ忙しいさなかに日本にやって来たブラジル人のオッサンを接待せねばならぬことになりまして、金閣に案内して説明せねばならんかったのですよ。
ブラジルの公用語はポルトガル語なのですが、ポルトガル語なんて一切喋らんからな、スペイン語しか喋らないから、それでもちゃんと理解しろよ!と、釘だけは刺してですな、ややこしい説明をしてましたですよ(笑)
ま、ポルトガル語とスペイン語なんて、大阪弁と標準語程度の違いしかないね。

以下、今年の金閣をアルバムから抜粋。
ここの紅葉は早くから赤く染まる種類なので、なかなかいい感じです。でも、人が多すぎて、やっぱ、この時期はどうにもなりませんな(笑)

奈良の春日大社を見たときにも思ったし、秀吉がつくらせた黄金の茶室を見たときも思ったのだけれども、黄金と漆の赤というのは、並みの神経では調和させることなど出来ませんが、力のある人間が圧倒的なスケールでこれをやると、美の極致とでも言いたくなるほどの艶やかなものが出来上がります。

なので、紅葉の時期の金閣は、一見の価値があります。
































2007年11月18日日曜日

寧楊さんの「艶話」を聴きにいく







明日香ネタをずーっと書いていたので少し遅くなってしまったけれども、明日香から帰ってきたその夜、大阪は中崎町のcommon cafeで、寧楊さんのエロ本朗読会(笑)に、行ってきたのでした。

common cafeは、今年の夏まで、毎週金曜日に寧楊さんがパスタ・ランチのお店をされていて、オレの相方さんも手伝いにいっていたお店です〜。

当初、この日は寧楊さんのバイオリンの発表会が予定されていたのだけれども、いろいろあってそれが12月5日延期になり、でも箱は確保してることだし、一人芝居でもやったらいいんじゃないの?ってオレが言ったからかどうかはともかくとしてですな、急遽、朗読会をされることになったのでした。

タイトルが、艶話、なので、どーやらエロい物語を朗読する模様。
そーいえば、エロ小説でなにかお勧めのを教えてくれって連絡してきてたっけ。
ま、オレがお勧めしたのは、軽く却下されてましたが。

アメリカだと作家が書店をまわって自作の朗読会をするキャンペーンが盛んに行われてますけれども、日本でその手のキャンペーンはほとんど行なわれないし、それでいてオレは朗読会が好きなので、寧楊さんがこういうことをやってくれるのは、大変にありがたい☆

書かれた言葉は、口に出して耳に届いたとき、言霊が宿りますからな。

行ってみると、いつものcommon cafeではなくて、四方を幕で囲まれた、ひっそりとした空間になっておりました。
寧楊さんも、シックな出で立ちにスリットがグーンと入った黒のロングを穿いていて、心なしか、艶っぽい(笑)
これで、照明を完全に消して、ロウソク1本立ててくれると怪談話になってしまいそうですが、集中するのには、これくらいがいいってもんです。

寧楊さんの声って、すごく中性的な成分で出来ているので、その寧楊さんが官能小説を朗読したらどうなるんだろう!って、興味津々でした。

ステージは、15分から20分程度の小品を、インターバルを挟んで2本。
2本目からは、寧楊さんの盟友グッチさんのバイオリンが伴奏につきます。

とはいえ、1本目は、寧楊ひとり。
たったひとりで聴衆全員のエネルギーを受け止めなければならないのだから、それはそれはすごいことですよ。オレだったら、逃げるな。

1本目は、近未来のバーチャル・セックスというか、ハイテクをつかったオナニーのお話でしたな。ロボットを操作してセックスするのですが、ロボットについているセンサーがダイレクトに操作している自分に伝わってきて、あたかもセックスしている気分になり、最高のオナニーをしている、ってお話。
主人公は、18歳(だったかな?)の婦女子さん。
セックスレスが進んでオナニー全盛の今の時代に、ある意味、相応しいお話でしたな。

ひとつ、深呼吸をして、大切な宝箱の封を切るようにしてはじまった寧楊さんの朗読は、最初、BGMが邪魔で仕方なかったのですが、すぐに引き込まれていき、鳴っているはずのBGMもいつしか聴こえなくなるほどでしたよ。
喘ぎ声あり、18歳の婦女子さんになりきりの熱演ありの朗読でした。

終わってから、なるほど〜、こう来ましたかあ!ってかんじでしたな。
主人公の婦女子さんがひとりで語るモノローグで、もちろん、婦女子さんの視点で物語が進んでいく朗読。
よく考えてみたら、寧楊さんの朗読にはそれが一番相応しい。

ただね、婦女子さんの視点だから、だと思うのですが、個人的には、興奮することはなく(笑)
それは寧楊さんの喘ぎ声を聴いていてもおなじで、男の視点から見て、色っぽさというものも、イヤらしさというものも、ないのですね。このへん、聴衆の婦女子さんがどのように感じたのか、すごく気になります。

2本目は、1本目とうってかわって、時代劇らしき設定。
結婚した婦女子さんはダンナさんによって初めて婦女子さんとしての歓びを開発され、それはそれは幸せな毎日を送っていたのですが、お子が出来ない。なので、ダンナさんは若い婦女子さんに走り、主人公の婦女子さんは、一度知ってしまった歓びを我慢することが出来ず、今度はダンナさんのおとうさん、つまり主人公の婦女子さんの義理のおとうさんと肉の契りを結んでしまい…、最後は、永遠の歓び、つまり、死を選んでしまうという、なかなか恐いお話。

セックスはフランス語では、小さな死、と言いますから、小さな死を重ね、それを欲した結果暴走し、本当の死を選んでしまうわけですから、これはなかなかセックスの本質をついた深いお話だと思いましたな。

こちらはグッチさんのバイオリンとのコラボレーションで、話自体はモノクロームのはずなのに、少しだけカラフルな色がついて、こちらのほうが寧楊さんにはあってました。
上品で清楚な婦女子さんが人知れず狂っていくお話ですから、前提として品性が求められるわけで、寧楊さんなら、それが遺憾なく発揮出来ます。これは、ハマった!と思いましたですよ。


会場をあとにして…、
落語家じゃないから、男女を使い分けるような2役以上の朗読をやるのは、やっぱ、無理なのかな、と思いましたです。
婦女子さんの視点でモノローグをやられると、少なくとも男のオレは盛り上がらなくてですな(笑)
正直に告白すると、オレが求めていたもの(というほど明確なものを持ってはいなかったけれども)と、少し違った印象は、あるのですよね。
要するに、興奮しないの。
そこを求めてはいけないのかもしれないですけれどもね。

たとえば、男がこれをやると、艶話ではなく、猥談になると思うんですよね。
津川雅彦が映画でやったように、笑いが入ってくるはずです。
翻って、婦女子さんが艶話をやると、その特長として、なにが出せるんだろうか?と、考え込んでしまいました。
ま、余計なお世話ではありますがな(笑)

ああ、でも、久しぶりに寧楊さんの舞台が見れて、オレはよかったですよ。
演じているときの寧楊が発する言葉には、ちゃんと言霊が宿っていますからね。

寧楊さん、またやってね☆


今日は、なんとなくこれで。
これはこれで、エロいです☆


Cibo Matto / 『Suger Water』

2007年11月17日土曜日

ならたび4 明日香の素敵なカフェとどんでん返し編

さて、ならたび日記 ver.明日香もいよいよ最終回☆

鬼の雪隠→鬼の俎→亀石→橘寺→石舞台古墳→岡寺→飛鳥寺とチャリで駆けまわってですな、結構な距離だったのですが、意外なほどしんどくもなく、相方さんの風邪もどうやら悪化することなく、無事に全行程を終えたわけです。

ほ~んとに景色がよくってね、心は晴れやかになりますね。
あとこれで、素敵なお店があったらなあ、って思っていたのですよ。
むやみやたらにお店がないのが明日香のいいところですが、石舞台古墳の横にあった飲食店は、それなりにキレイなのですが、なんか行政が運営しているっぽい、軽食から喫茶まで定番メニューを揃えましたってかんじのお店で、これは食指が動かず。

まあ、場所が場所なので、そういうのは諦めていたのですが、飛鳥寺を出て帰路につこうとしていたときにですな、なかなか素敵なお店を見つけたのですよ。



ひょうひょう、
という名前のお店なのですが、名前のとおりひょうひょうとしたかんじで、いい味を出してましてね(笑) 外観を見ただけで、相方さんと2人してチャリを降りて、フラフラと入ってしまいましたね。

築100年の町屋カフェ。
身体に美味しいお昼ごはん。
作家さんの手づくり作品。

なんてキーワードがすぐに浮かんでくるのですが、オレ的にはそういうことはどうでもよくて、畳が敷いてあってペタって座れて…、というか、なかに入ってみると。ほとんど家ですわ~(笑) オレ、こーゆーお店は大好きです☆



すごい生活感がありましてですね、写真の左側にある2階へ上る階段は、ここの家族が住んでらっしゃる部屋に直結してましたから(笑)
店員さんというか、オーナーさんのおかあさんは、文字通りひょうひょうとしていて、つかず離れずのいい距離で接客してくれて、言うことなしです。
禁煙のお店だったんですが、お客が誰もいなかったってこともあって、窓際の席で、窓(普通にベランダっぽいサッシの窓ですが。笑)を開けて、そこで煙草を吸ってました。子供らが灰皿を持ってきてくれましたですよ。

チャイを注文して、ずいぶんとほっこりしてました。
明日香の最後に、こんな店に遭遇するなんてね! 近ければ、絶対に通うのに!って思ってしまいました。



さて、ホッコリする景色もお寺さんもカフェもなにもかもよかった明日香をあとにするべくですな、駅に向かってチャリを走らせていたら…、途中、ダメ押しのコスモス畑☆ 今年はコスモス畑を見てなかったので、名残のコスモスとなりました☆ ここらあたり、まだ収穫していないところが多かったです~。



さてさて、いよいよ本当にこれが最後、あと10分もチャリを走らせれば駅です。
道もガラガラだし、チャリをぶんぶん走らせていたらですな、オレの隣で、ガッシャーン☆ってすごい音が。

相方さん、チャリで転んで、大クラッシュですがな!
こんなかんじ(笑)







ちょうど、ジジババのハイキング集団の目のまえですっ転んでましたがな~。
車道を走っていて、歩道に車線変更しようとしたときに、ほら、車道と歩道の境目って軽くスロープにはなってますけれども、若干の段差があって、シームレスになってないじゃないですか。そこの段差に足を取られて、大転倒ですよ…。
しゃーないから、転がったチャリを起こしてですな、うずくまってる相方さんを見舞うと…、足を押さえて、痛い!痛い!恥ずかしい!痛い!恥ずかしい!と。。。

ジジババの目のまえですっ転んだので恥ずかしいらしいのですが、ま、そんなことはどうでもよろしい。
それよか、足ですよ、足。
見たところ、右足以外の外傷はないのですが、その右足も特段外傷はなく、単なる打撲だろうからすぐに痛みはおさまるんじゃないか?って思っていたのですがね。骨折しているかんじでもないし。。
でも、かーなりひつこく痛がっているので、痛みの感触を聞いてみると、どうやら、靭帯を痛めたっぽいですね。要するに、チャリで転けたときに足を強烈にひねって、重度の捻挫。
これ、オレが去年のGWにやったのとおんなじ症状ではないですか…。歩けないんですよね。ま、そんときは相方さんはオレを見て笑ってましたが…。

最後の最後で、これです~。

最後とはいえ、まだ飛鳥駅まではチャリで10分程度走らなければならないし、最後にちょっとした坂があったのですよ~。
もうね、這々の体で駅までついて、駅からも肩を抱えてそろ~りそろ~り。
ちなみにこっから相方さんの家までは、なかなか遠い(笑)
3回くらい電車を乗り継いで、最後はバスですからね。ま、最後のバスは諦めてタクシーで帰りましたが。。

そんなわけで、天気問題と風邪にはじまって、最後は、チャリで転んで捻挫→現在、松葉杖生活、と(笑)
そういう旅と相成りました~。

オレんときは病院に行かずに無理して仕事したので3ヶ月以上かかりましたけれども、相方さんはちゃんと病院に行ったみたいで、完全復帰までには1ヶ月くらいかかるらしいです~。これで今年の紅葉はアウトっぽいですなっ!
ま、しばらくはのんびりしなはれ、ということですな。

あ、松葉杖姿の写真を送ってこないので、こちらは参考写真。靭帯を痛めるほどの重度の捻挫は、こんなふうに体液がそこに充満して、テニスボールくらいのコブが出来上がって腫れまくります~。




またしても、明日香出身の、オレと相方さんの縁を取り持ったミュージシャン、家根嘉のライブです~。

本日の1枚:
『Black Coral』
Yaneka